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2006年08月01日(火)
なぜ素直に「好きだ」と言えないのか?

「と学会年鑑GREEN」(と学会著・楽工社)より。

(と学会会長・山本弘さんによるあとがき「あばたがかわいい女の子の話」の一部です)

【どんな趣味でもそうだろう。バイクにせよ、釣りにせよ、鉄道模型にせよ、古本や切手の収集にせよ、アイドルや声優の追っかけにせよ、興味のない人間から見れば「なんであんなものに夢中になれるの?」と不思議に思えるだろう。古いオーディオ機器やSLやクラシックカーや第二次世界大戦中の飛行機を愛する人も多い。そうした古いマシンは現代の最新マシンよりも性能が劣っているのだが、そんなことファンには関係ない。好き嫌いは主観的なものであって、性能の絶対的な優劣で決まるわけではないからだ。
 同様に、古書マニアが古書店を回って古本を集めるのは、古本が現代の本より優れているからではない。僕らが特撮番組を見るのは、優れているからではない。単に好きだからである。
 ところが困ったことに、ファンの中にはそう思わない者もいる。「良い」と「好き」の区別がついておらず、自分が好きなものは良いものなのだ、と思いこみたい者が。
 もう30年近く前になるだろうか、京都大学のキャンパスを歩いていたら、学内で行われる『ゴジラ』の上映会のポスターが貼ってあった。そのコピーがあまりにもおかしかったので、今でも記憶している。

<自衛隊を踏み潰し/核の怒りに炎吐く/人民の英雄ゴジラ!>

「人民の英雄ちゃうやろ! 人民踏み潰しとるやんけ!」と、僕は(心の中で)笑ったもんである。この人たちは『ゴジラ』を見るのに、こんな大層な理屈をつけなきゃいけないのかと。
 だいたい、反核を訴えた作品だから良いというのであれば、広島・長崎の悲劇を題材にした映画や、『世界大戦争』『渚にて』のような核戦争ものの映画でもいいではないか。なぜ怪獣ものでなくてはいけないのだ?
『ウルトラ』シリーズにも同じことが言える。特撮ファンはよく、「故郷は地球」や「ノンマルトの使者」や「怪獣使いと少年」といった異色作を挙げ、これらがいかに素晴らしい作品であるかを力説したがる。でも、あなたたたちが『ウルトラ』を見てるのはそんな理由? 本当にそんなテーマに魅せられたから見ているの? ゴモラやエレキングやツインテールはどうでもいいの?
 違うでしょ? 怪獣が好きだから、特撮が好きだからでしょ?
 なぜ素直にそう言えないのか。自分の好きなものが高尚な作品であると、どうしてそんなに思いこもうとするのか。
 僕はけっこうずけずけと批判を言うほうなので、よく反発を受ける。以前、腹を立てたある作品のファンの人から、「あなたが自分の好きな作品をけなされたらどんな気がしますか?」という反論を受けた。
 僕の返答は「どうも思わない」である。特撮番組にせよ、アニメやマンガや小説にせよ、僕は自分の好きな作品が欠点だらけであることを知っている。誰かがその作品の欠点を指摘したなら、それはおそらく、かなりの確率で正しい。僕は「ええ、まったくおっしゃる通りです。あれはおかしいですよね」とか「確かにそういう見方もあるでしょうね」と答えるだろう。
 どんなものにでも欠点はある。「俺の好きな作品は素晴らしい。欠点などない」と主張するのは、自分に作品を正しく評価する目がないと表明しているに等しい。そんな人間に愛されるのは、作品にとってむしろ不幸なのではないだろうか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 まあ、今から30年前という「時代性」には配慮すべきだとは思いますが、「人民の英雄ゴジラ!」には僕も失笑してしまいました。『ゴジラ』という作品には「反核」の思想が反映されているらしいのですが、確かに「反核」だから素晴らしいというのであれば、ここで山本さんが挙げられている作品群や「黒い雨」でも観たほうが、はるかに「素晴らしい」ということになりそうですよね。でも、とりあえず僕たちは、自分の「好きなもの」に対して、「面白いから」という理由だけではなんとなく自信がもてなくて、そこに「芸術性」とか「社会性」とかを付加して、「芸術的だからすごいんだ!」「社会への批判が込められている!」とか言いたくなってしまうんですよね。だって、「面白いから好き!」じゃあ、褒めている自分が頭悪そうだし。
 ここで山本さんが書かれていることは、「他人の趣味」に対して、つい茶々を入れてしまいたくなる人間たちにとって、耳の痛い話なのではないでしょうか。確かにクラシックカーに「今の車のほうが快適なのに」とか昔のMacを集めている人に「最新の機種のほうが、処理速度が速いのに」なんて言うのは、ナンセンス極まりない話なんですよね。彼らはそもそも「快適さ」や「処理速度」に感銘を受けて、その古い車やパソコンに愛着を抱いているわけではないのですから。「遅いのはわかってるけど、好きなんだよ!」と言われたら、もう、沈黙するしかありません。

 でも、ここで山本さんが書かれている「自分の好きなものを他人から批判されても『何も思わない』」という心境には、今の僕はまだまだ遠いです。やっぱり好きなものをけなされると腹も立つし、わざわざそんなこと言わなくても…と、言い返したくもなるのですけどね。
 「欠点も含めて受け入れる」のは「愛」なのだと言われれば、その通りなのだけれど、せめて自分の趣味の世界くらいは、「盲信」してみてもいいんじゃないかなあ、という気も、少しだけするのです。