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2006年07月31日(月) ■ |
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電話口で、私の会話はもう徹底的に弾まない。 |
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「とるにたらないものもの」(江國香織著・集英社文庫)より。
(「電話」というエッセイの一部です)
【電話で会話をするのは難しい。「最近どうしてる?」とか、「忙しいの?」といった単純な質問にさえ、一体何をどうどこから話すべきなのか考えてしまう。考えるあいだ沈黙が訪れ、私は困って動揺し、慌てて、「どうもしてない」とか、「忙しい」とか、文法的に正しくていちばん短い答を吐く。みもふたもない。 電話口で、私の会話はもう徹底的に弾まない。おまけに切り方がいつもよくわからない。「それでは、さようなら」は口語として不自然な気がするし、「失礼します」は私には馴染まない。「またかけるね」と時々言ってしまうのだが、それはかかってきた電話だし、またかけたためしなどない。「またかけてね」が正しいと思いはするのだが、「そんなら自分からかけろよ」と相手が思うだろうと推察されるし、それが道理だ、とも思うので、言えない。 結局のところ、相手が切るまで黙って待っていたりする。切ってから、たぶん双方に困惑とわりきれない感じが残る。中途半端な、なにか物足りない感じが。 そうしてそれでいて、私は電話にでて相手の声が聞こえた瞬間、知っている人だとものすごく嬉しい。たまに電話が全くかかってこない日があると、なんとなく淋しく、「壊れていないかどうか確かめよう」とひとりごとを言いながら、受話器を持ち上げてみたりする。】
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僕も電話は大の苦手なので(というか、人と話すことそのものが苦手なんですけどね)、ここで江國さんが書かれている電話のもどかしさ、よくわかります。そもそも、電話で話したあとって、「ベストのタイミングで電話を切れた」って思うことって、めったにないんですよね。なんだかさっさと切っちゃって、冷たいと思われたかな、とか、長々と話し続けて、しつこい人だと不快にさせたのではないかな、とか。 携帯電話では、固定電話ほど、「切るときの受話器の置きかた」に気を遣うことはなくなりました。あれも、勢いよく「ガチャン」とやってしまうと、もう一度電話して、「今のはそんなつもりで(怒って)切ったんじゃないから」と言い訳をしたくなったものです。ああなんて神経質な男。 しかし、この江國さんの言葉を読んでいると、僕みたいな人間は、世の中にそんなに希少な存在ではないのかもしれないな、という気もしてきます。 もしかしたら、僕の今までの人生において、電話で、「素っ気ない会話」しかしてくれなかった女の子は、「僕のことが好きじゃなかった」わけではなくて、「電話での会話が苦手」だっただけなのかもしれないんですよね。 顔が見えない相手との会話に気を遣うのがイヤで、電話での会話も苦手なはずなのだけれど、電話が鳴らないと「故障かな?」と気になって、肌身離さずに持ち歩かずにはいられない、そんな「電話嫌い」たちにとっては、 「メール」というのは、まさに「福音」ではあったのですが…… 結局のところ、「メールは便利」ではあるのだけれど、携帯メールだと「こんな時間に送っていいのかな…」とか「こんなに早く返信したら、ガツガツしているように見えるかな…」とか悩んでいるうちに、そのメールの「賞味期限」は過ぎてしまっていたりするのです。 手段はいろいろあるけれど、やっぱり、コミュニケーションっていうのは難しい。
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