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2006年06月30日(金) ■ |
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上村愛子の「10秒」 |
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「週刊アスキー・2006.6/27号」(アスキー)の「決断のとき〜トップアスリートが語る人生の転機」第5回・上村愛子(前編)より。インタビュー・文は、吉井妙子さん。
【今年2月に行われたトリノ五輪で、上村は表彰台が最も有力視されていた。しかも、モーグルは大会の序盤に行われたため、上村のメダル獲得は日本人選手たちの弾みになると、誰もが熱い視線を送った。上村も、そんな日本中の期待を十分に理解していた。大会直前に語っていたものだ。 「大丈夫です。色さえ問わなかったら、メダルは獲りますよ」 長野、ソルトレイク五輪前には、「頑張ります」としか言わなかった上村が、ここまで断言するのは確固たる自信の表れでもあった。 滑り終えた時点で、メダリスト用に用意された椅子の2番目に座った。笑顔はない。次の選手がフィニッシュすると3番目の椅子に移動した。そして、遂に椅子から立ち上がる。メダルがこぼれた。落胆の溜息が日本中のお茶の間に漏れる。当の本人にとっては、それ以上に受け入れ難い現実だった。やるせなさと息苦しさが身体を襲う。この4年間、一分一秒を惜しんで練習を重ねてきたことが、ほんの30秒で無に帰してしまったのだ。結局5位で、上村のトリノ五輪は幕を閉じた。 歓喜を爆発させるメダリストの横を通り抜け、上村は大勢の報道陣が待ち受けるミックスゾーンに近づいてきた。絶対に獲りたい、いや、獲るべきものとして捉えていたメダルに背を向けられ、まだ現状を把握できないような、それでいて、とてつもない奈落の底に突き落とされたような絶望感と悲壮感を漂わせながら、背中をポンと押せば、途端に崩れ落ちてしまいそうな頼り気ない表情をしながら、報道陣の前で足を止めた。声をかけると心の表面張力が破れ、一気に涙が溢れてきそうな危うい場面だった。重い空気が流れる。 上村は、第一声を待ち構えた報道陣に「ちょっとすみません」とクルッと背中を向けた。1秒、2秒、5秒……。10秒経って真正面を見据えた顔には、なんと笑顔が浮かんでいた。分水嶺まで高まった感情をほんの10秒間でコントロールしてしまった上村に、精神力の強さを見た思いだった。 あれから4ヶ月。上村が振り返って言う。 「あの場面は、自分でも勝負だなと思ったんです。感情に負けて泣いてしまったら、スキーの話も五輪を戦い終えた気持ちも伝えられなくなってしまう。日本中が注目してくれているはずだから、ちゃんと喋らなければいけないと思った。ただ、気持ち的には”やべぇ、これは泣いてしまうぞ”というのがあったので、気持ちを切り替えるために”ちょっと待っててね”と思って背中を向けちゃった」 自分の感情を必死にコントロールしつつ、場の空気も読んでいた。 「報道陣の人たちも、なんか緊張した感じで私のことを見ているのがわかった。瞬間に、場を和やかにしなくてはと思い、振り向いた途端『あ、どうも、やっちゃいました』と、ちょっとおちゃらけてみたんです。そうしたら記者さんたちが少し笑ってくれて、そこから普通に話せるようになった」 感情が崩れ落ちそうな瀬戸際で、巧みに自己コントロールし、しかも相手の思いを瞬時に察知してその場の雰囲気をより良い方向に導き出す。26歳の上村の人間的度量が顔を覗かせた一瞬だった。】
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この「上村選手の10秒」のエピソードを読んで、僕はもう、ひたすら自分のことが恥ずかしくなってしまいました。僕はけっこう自分の感情を抑えきれないことがあって、ちょっとしたことでイライラしたり、他人に冷たくあたったりしてしまうことがあるものですから。そんなのは、このときの上村選手の状況に比べたら、本当に些細なことだったはずなのに。 4年間、いや、長野、ソルトレイクのことも考えれば、8年間以上かけて目指した「メダルを獲る」という目標に、あと一歩のところで届かなかった上村選手。彼女は、いままでの競技生活やオリンピックの経験から「メダルを取れないということ」の意味は、よく知っていたはずです。どんなに素晴らしい演技をしても、「メダリスト」と「入賞止まり」では、世間の印象は、ガラッと変わってしまうのですし。 もしかしたら、彼女が報道陣の前で泣いたら、それはそれで視聴者は満足したのかもしれません。ああ、泣くくらい悔しかったのだな、って。 でも、彼女はそういう道を選ばずに、「感情を抑えて、自分が伝えるべきことをちゃんと言葉にする」道を選んだのです。僕には残念ながら、このシーンの記憶がないのですが、テレビの前では「負けたくせにおちゃらけやがって!」と憤っている人もいたかもしれません。この「背中を向けた10秒間」の彼女の心のうちを想像するだけで、僕などはもう、涙が出そうになってしまうのですけど。
世の中には、いろんな「勝負」があって、そこには「成功」あるいは「失敗」という結果がついてきます。もちろん、すべて成功できれば言うことないのですが、現実は、そんなに甘いものじゃない。 そして、「うまくいかなかったとき」にこそ、「もうひとつの闘い」がはじまるのです。 そういうときに、他人にやつ当たりをしたり、キレて自分を見失ってしまったりすれば、その「うまくいかなかったこと」に加えて、「アイツは、うまくいかないときは、他人のせいにする人間だ」というふうに見られてしまうし、そういう負のイメージというのは、いくらその後成功を積み重ねても、なかなか払拭できるものではありません。逆に言えば、「失敗したとき」にこそ、その人の「真価」が問われているのです。
僕は第三者として、こんなことを偉そうに書いていますが、このときの上村選手の落胆は簡単に言葉にできるようなものではないし、いくら抑えようとしても、抑えきれなくても仕方がない状況だったと思います。 それでも、上村選手は、自分に勝ってみせたのです。 試合や勝負に負けたからといって、自分にまで負けるのは、あまりにも情けない。そして、負けてしまったときにこそ、周囲の人は、「真の姿」を見定めようとしています。 たぶん、僕たちが「負けた……」と落ち込んでいるときに、「本当の勝負」がはじまっているのです。
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