|
|
2006年05月14日(日) ■ |
|
「失われた」日本と「捨てられた」日本 |
|
「立喰師、かく語りき。」(押井守著・徳間書店)より。
(この本のなかの押井さんへのインタビュー「今こそ戦後史を総括せよ!」の一部です)
【インタビュアー:さっき、戦後派知識人が詠った「喪失」についてお伺いしましたが、一方、押井監督自身も、映画公開前に行われたイベントで、対談相手の鈴木敏夫さんに「戦後というのは大切なものがどんどん失われていく過程だった」とおっしゃっていましたよね。実際、我々は何を失って「今」という時代を生きているのか――そのあたりを少しお伺いできますか?
押井:あの「失った」という言い方は、たぶん正しくないんだよね。イベントのあと考えたんだけど、「失った」という言い方すると非常にノスタルジックに感じるわけで、『三丁目の夕日』的な世界に直結しちゃう。 僕は逆に、『三丁目の夕日』で描かれたような、ああいう貧しい世界っていうのが、子供の頃から大嫌いだったんだよ。子供のとき何がいやだったかっていうと、貧しい日本の現実が一番嫌だった。埃っぽくて汚らしくて喰うものもロクなもんじゃない。要するにTVで観てるアメリカ文化、あれに憧れてたんでさ。冷蔵庫に牛乳がいっぱい入ってて、学校でまずい給食喰うんじゃなくて、カフェテリアで好きなものをとってっていう。 だから「失われた」というより、別な可能性を踏み潰したって気がするんだよね。「失われた」と言うと何か神様とか天とか運命的なものを感じちゃうけど、そうじゃなくて、明らかに意図的に踏み潰したんだよ。 じゃあ「何が踏み潰したんだろうか」って言うと、60年安保とか70年安保の、ああいう政治闘争みたいなものに直結してるんだよね、僕の中では。】
〜〜〜〜〜〜〜
押井さんは1951年生まれですから、僕より20年くらい年上です。僕は正直、60年安保とか70年安保というものに対する実感はないのですけど、その一方で、ここに書かれていることもわかるような気がするのです。 僕が子供の頃の日本は、日々の食べ物に困るほど貧しくはなかったけれど、コンビニもビデオも普及しておらず、ハーゲンダッツやレディーボーデンのアイスクリームなんて風邪でも引かないと食べられず、もちろん、携帯電話もテレビゲームもありませんでした。そして、僕たちが子供のころもやっぱり、「もっと豪華なお菓子を毎日食べたい」「アメリカ人みたいに大きな家に住んでみたい」なんてことを考えていたものでした。
最近、便利さを追求するあまり、かえっていろんなしがらみだらけになってしまっている現代に疲れ果て、「旧き良き戦後の高度成長期」の日本を懐かしむ人が増えています。ここで挙げられている『三丁目の夕日』なんて、まさにその典型例ですよね。 でも、僕たちはあの映画に「失われた日本」を見つけて懐かしむのですが、実は、その日本は「失われた」ものではなくて、僕たちが「捨てた」あるいは「選ばなかった」日本なのです。もしみんなが、夜は家でのんびりするべきだと考えていたならば、こんなに日本中に24時間営業のコンビニができることはなかっただろうし、家に居ない人にまでわざわざ連絡を取る必要はないと判断していたならば、こんなに携帯電話が普及することはなかったはずです。 でも、こういう「便利さ」というのは、一度身についてしまうと、もう、手放すことは難しくなってしまうのですよね。 今の日本というのは、たぶん、僕たちが「望んでいた」日本なのです。食べ物の多くにカロリー表示がされていたり、携帯電話に「公共モード」が必要になってしまった、豊かすぎる、便利すぎる国。 それなのに、なぜ、「こんなはずじゃなかった」って、つい、考えてしまうのでしょうか……
|
|