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2006年05月13日(土) ■ |
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「私にとってはブログで発表するほうが怖いです」 |
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「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2006年6月号より。
(「第1回ダ・ヴィンチ文学賞」の大賞受賞者、前川梓さんの紹介記事の一部です。取材・文は江南亜美子さん)
【まさに、小説家になるべくしてなったようなエピソードだが、それだけじゃないのが前川さんの文章力。大学時代、アルバイトをした老人介護施設で、彼女に書くことの力を再認識させる、ひとつの出来事があった。「あるとき先輩にオムツの実体験を勧められたので、本当に一日をはいて過ごしてみたんです。そしたら冷たくて、不快で。これは書かなあかんなあって、絵付きの『オムツ体験記』を徹夜で書きました。それが後日、介護士さんたちに配られることになったんですけど、みなさん、初心に帰れたと言ってくれて。実際にお年寄りの方からも『最近、何かが変わった』という言葉を聞けたんですよ。書くことで何かが変わるという体験は、本当に大きいものでした」。 同じ頃、もうひとつの転機も訪れる。「shin-bi」という、母校の京都精華大学が運営するお店の文章表現講座に通い、自作の小説が他人に評価される機会を得るのだ。 「介護の体験から生まれた短篇――おばあさんを主人公にした物語――をみんなに読んでもらったんです。『私を馬鹿にしないでちょうだい』というセリフなんかも出てくる、暗めのものでした。でも「鋭くなったね」と、いい反応がもらえたことで、小説って何書いてもいいんだ、ポジティヴな内容じゃなくてもいいんだと、ある意味で解放されて、書くことがよりいっそう気持ち良くなったんです」。 ただし、そこからすぐ新人賞応募につづくのかと思いきや、前川さんは余人には想像もできない行動に出る。小さなサークル内だけで評価されて安心している自分に不安を感じ、まったくの他人に自作を読んでもらおうと、書いたものを道ゆくひとに配ることにしたのだ。 「さっきのおばあさんの話を含めた4つの短篇を学校で30部ほどコピーし、メルアドと名前を書いた付箋をくっつけて四条の駅前で配ったんです。心の余裕がなさそうな人には渡さない、って基準を決めて。だって捨てられそうやから」。屈託なく笑顔で話す前川さんに、怖くなかったですかと訊ねるものの「私にとってはブログで発表するほうが怖いです。配るときはいちおう、相手を選んで渡せますから」とのこと。ちなみに、30人中2人から感想のメールが届いたそうだ。】
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第1回の「ダ・ヴィンチ文学賞」を受賞した「ようちゃんの夜」の作者は、1984年生まれの前川梓さん。「ダ・ヴィンチ」には前川さんの近影も載せられているのですが、誰もが振り返る超美人、というわけではないけれど、感じの良い人だなあ、という印象を受けました。いや、彼女にだったら、自作の短篇を配られても、読んで感想を返信してしまうかもしれないな、とか邪なことを、ちょっとだけ考えてみたりもしたのです。ヘンなおじさんに「僕が書いた小説です。感想ください!」なんて言われても、関わるのもごめんこうむりたいですが。 まあ、そんな与太話はさておき、この、前川さんが「書くこと」ハマっていくプロセスは、非常に興味深いものでした。「自分が書いたもので、『何か』が変わっていくということ」が、彼女をよりいっそう表現の世界に向かわせる原動力になったようなのです。どのような内容だったのか、読んでいない僕にはわかりませんが、「オムツに対する不快感」というのは、たぶん、言葉にするだけではその場で「そうだよね…」と頷きあって終わってしまったり、多くの人に感覚として伝えることはなかなか難しかったのではないでしょうか。でも、「書くこと(あるいは、描くこと)」によって、それは、より明確なイメージとしてみんなに共有してもらえるのです。 僕がこの文章のなかでいちばん印象に残ったのは、前川さんが「自分の作品を読んでもらう人」として、「不特定多数」ではなくて、「道ゆくひと(心の余裕がありそうな)」を選んだということでした。今の作家志望の人たちの感覚としては、「道ゆく人に手渡しで作品を渡すなんて、めんどくさいし、受け取ってもらえなかったら落ち込むし、感想なんてもらえるわけないし…」というのが一般的なものではないでしょうか。僕だって、こうやって文章を書けるのはネット上で「お互いに誰だかわからない」からであって、「僕が書きました!」と誰かに手渡しで読んでもらおうとする気にはなれません。でも確かに、「不特定多数の、悪意の人に読まれるブログよりも、自分で相手を選んで渡せる『手渡し』のほうが怖くない」というのもわかるような気はするのです。ブログには「悪意の読者」だって当然含まれているでしょうから。 それでも、こういう「手渡し」って、「道ゆくひとへの信頼」と、その「道ゆくひとを見る目」に自信がなければ、なかなかできないことではありますよね。そういう感覚は、これからの前川さんにとっての最大の武器なのだろうなあ、と思います。 もちろんそれは、弱点になっていく可能性もあるのだけれども。
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