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2006年04月26日(水)
不登校や引きこもりは病気なんですか?

「わしズム・Vol.18」(小学館)の対談記事、「長田百合子vs小林よしのり 『受け入れる』『見守る』『与える』親が子供をつけあがらせる」より。

(小林よしのりさんと、引きこもりや不登校児のリハビリ寮を運営し、29年間で2000人をこえる子供たちの問題を解決してきたという長田百合子さんとの対談の一部です)

【小林:実際のところ、不登校や引きこもりは病気なんですか。

長田:学校の先生はすぐ心療内科に行かせるし、医者も「病気だ」と言うけど、ほとんどの不登校は病気じゃないですよ。親の子育てが原因なの。たとえば子供が「おなか痛い」と言って学校を休んだとき、私なら三食お粥を食べさせて、テレビも見せずに布団で寝かしておきます。これは退屈だし、お粥にも飽きるから、仮病なら翌日から学校に行きますよねぇ。ところが不登校の親は、いつもと同じ食事を作ってやる。ゲームをやっていても何も言わない。結局母親が受け入れている。それが1つのパターンなんですね。

小林:心理学者は「病気だから受け入れろ」と言うけど、実際は、何でも受け入れたことによって不登校になってしまうわけですね。

長田:その受け入れ方も半端じゃないですよ。ある母親なんか、カウンセラーに「幼児返り」も受け入れろと言われて、中学3年生の男の子と一緒にベッドで寝たんです。すると息子が母ちゃんの胸を触ってきた。カウンセラーはこれも「受け入れろ」と言う。次に下半身に手が伸びてきた。それも受け入れて下着の上から触らせていたら、こんどはキスですよ。それでもカウンセラーは「小さい頃はキスしたでしょう」とか言って受け入れさせる。最後はとうとう舌まで入れてきた。そこで「これはヤバイ」と思った母親が、私のところに相談に来たんです。

小林:そこまで受け入れるのかぁ。いわゆる引きこもりの問題も、その延長線上にあるんでしょうね。

長田:そうです。「すべて受け入れろ」と言われた親は、子供が「金をくれ」と言えば、いくらでも渡しますよね。その金を持って、不登校の子供が外をブラブラ歩き始めるわけですよ。親のスネをかじって、税金も払わない。もっとひどいのは、生活保護を受ける引きこもりが急増していること。

小林:えっ、そうなんですか?

長田:病院に行けばすぐに病名がつくから、診断書を取って役所に提出するんですね。「病気だから働けません」と生活保護を申し込むわけ。もちろん本当の病気の人もいますが、そうじゃない人もいる。役所も何だかんだとネジを巻いて働かせようとするんですが、連中はそこでバタンと倒れて意識不明を装うことだってできる。救急車でも来たら勝ちですよ。次に役所に行って、「あなたが責めたから僕は倒れたんですよ」とでも言えば、もう断られることはない。真面目に働いて税金を払っている若い人たちが、我が子を自立させられなかった親の尻拭いをさせられるんです。そんな世の中で、どうして若者が意欲を持てるんですか。今は「権利だ、自由だ」と騒いだり、「自分は弱者だ」と言った者が勝ってしまう世の中ですけど、責任も義務も伴わない履き違えた自由や権利ばっかりでしょ? だいたい、人間が自由を寄越せと言い出したら終わりですよ。たとえば結婚ひとつ取ったって、すごく不自由ですよね。】

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 「これはヤバイ」って、もっと早く気付くだろ普通…という気もしなくはないのですが、確かに「カウンセリング」のなかには、こんなとんでもないものもあるのかもしれません。いくらなんでも、これはあまりにも酷い話なのだと思いたいのですが。「小さい頃はキスしたでしょう」って、落語かそれは。
 でも、その一方で、医者というのもこういう「切実な現場」において、ついつい「事なかれ主義」に走りがちでもあるので、あんまり偉そうなことは言えそうにありません。「診断書」を希望されたときに、グレーゾーンの状態であり、患者さんがそれを強く求めている場合、そういう「診断」をつけてしまっている場合も、けっして少なくないのではないかと思うのです。いわゆる「器質的疾患」なら、「データが合わないから」「レントゲンに写っていないから」ということで拒否できるのですが、精神的な疾患の場合、どうしても、そういう客観的な評価がしにくい面がありそうですし。
 結局は、カウンセラーも、医者も、そして親も、「受け入れる」という名目のもとに、単なる「責任逃れ」をしているだけなのかもしれません。受け入れてあげたんだから、自分の責任じゃない、って。
 確かに、受け入れたほうがラクだものね。恨まれなくてすむしさ。

 もちろん、この長田さんの考え方にも極端なところはありますし、すべての「引きこもり」たちが、これで社会に適応できるわけではないとは思うのです。本当の精神的な疾患によって、コミュニケーション不全に陥ってしまう若者というのは、けっして少なくはないのですし。
 それでも、こういう「ものわかりが良すぎる大人たち」が、より多くの「引きこもり」を生む土壌となっているというのは否定できません。
 「引きこもりは現代人の病だ」と「専門家」たちは言うけれど、「引きこもりでも飢え死にしない世の中」のほうが、もしかしたら歪んでいるのかもしれませんし。
 もし、引きこもりの人が無人島に打ち上げられたら、それでも彼らは引きこもり続けるのだろうか?

 しかしながら、僕はここで偉そうにこんなことを書いているけど、僕の子供だって引きこもりにならないとは限らないんですよね。僕自身にも、引きこもりの素養は十分ありそうですし……

 そのとき、真正面から立ち向かえる「勇気」が、僕にあるだろうか……