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2006年04月25日(火)
1914年、オーストリア皇太子夫妻の暗殺を契機に、第一次世界大戦はじまる

「きまぐれ遊歩道」(星新一著・新潮文庫)より。

【「ロマンス」という項より。

 サラエボは現在、ユーゴスラビアの都市。1914年の6月。この地でオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子、フランツ・フェルディナントが暗殺された。
 このハプスブルグ家は、ルイ16世の王妃のマリー・アントワネットや、ナポレオンの2番目の妃のマリー・ルイーズも一族。
 フランツは子供の時からおとなしく、孤独を好み、聖職者に教育され、まじめな性格だった。宴会があっても、夫人と会話をかわすことがない。30歳を過ぎても独身。
 候補として、何人もの王女の名があがったが、その気にならない。皇帝は伯父に当り、その息子の自殺、つづいてフランツの父の死。それで皇太子になったという立場を考えてか、ウィーンの宮廷生活をきらってか、各説ある。
 そのうち、フランツはフレデリック大公の家を、しばしば訪問するようになった。王女が多くいる。だれかを好きになったのならば喜ばしいと、関係者はほっとした。
 しかし、フランツ皇太子が明らかにした女性は、ゾフィー・ショテク。その家で召使いの仕事をしていた。彼女の父は外交官で、伯爵の称号を持っていたが、貧しい家。美人かもしれないが、さらに美しく、格式の高い家柄の王女は、ほかにたくさんいる。皇帝も大公もがっかりし、大臣も反対、国民も驚いた。
 それでも、フランツの心は変わらない。前例がないので、皇族どうしの宮中での儀式はおこなえない。皇太子はそれを無視し、1900年に結婚となった。フランツ、36歳。
 ゾフィーは魅力ある女性で、思いやりもあり、頭もよく、世俗的な欲望も少かった。うわさはひろまり、すばらしい妃殿下と呼ばれた。
 3人の子が生れる。絵にかいたような、しあわせな家庭。恋はみのったのだ。
 フランツ皇太子は、国のために働いた。ドイツとだけ友好するより、ロシアとも協調し、外交的に安定した関係を築こうとした。国内の改革も、計画していただろう。陸軍総監という、要職についた。
 しかし、これに反対するテロ・グループは、オープンカーに爆弾を投げた。それは避けたが、車に飛び乗った者が拳銃を発射。ゾフィー妃が身をもって防いだが、第2発目が皇太子に命中。2人とも死亡。ちょうど、14回目の結婚記念日だった。
 これがきっかけで、第一次世界大戦に発展し、暗い時代に入る。】

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 星さんは、このエピソードのあとに、一言の感想も書かれていません。言葉にならなかったのか、それとも、言葉は不要だと思われたのか。

 僕はこの「ロマンス」のことを、この本を読むまで全く知りませんでした。ここに書かれている人物のことで僕が知っていたのは、歴史年表中の
『1914年、オーストリア皇太子夫妻の暗殺を契機に、第一次世界大戦はじまる』という「歴史的事実」だけだったのです。
 でも、この「暗殺されてしまった皇太子夫妻」には、これだけのエピソードが秘められていました。この文章を読んで、僕が「歴史として知っていること」というのは、本当は、事実のほんのヒトカケラにしかすぎないのだな、ということを、あらためて思い知らされた気がします。
 まじめで、内向的な人物だった皇太子が自分の信念を貫いて選んだパートナー。時代や家柄などを考えれば、それは「暴挙」であったに違いありません。そして、フランツ皇太子は、自分の選択眼が正しかったことを証明しようとしていた矢先に、最愛のパートナーとともに凶弾に倒れてしまいました。当時の人たちは、きっと、ものすごく悲しんだだろうなあ、と思うのです。

 結局、一部の好事家や研究者を除けば、今の時代に残っているのは、『1914年、オーストラリア皇太子夫妻の暗殺を契機に、第一次世界大戦はじまる』というだけの「事実」でしかありません。こんなふうに、歴史のなかには、数々の「忘れられたエピソード」が置き去りにされながら、後世に伝わっていくのでしょうね。
 なんだかそれは、ものすごくせつないことのように、僕には感じられてならないのです。