初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2006年04月11日(火)
映画ファンにとっての「家庭用ビデオ夜明け前」

「NewWORDS」2006・SPRING ISSUE(角川書店)の藤野千夜さんのコラム「なつかシネマ19XX」より。

【はじめてのビデオデッキがうちに届いたのは、私が高校を卒業してからだった。今でも覚えている、あの日……。
 朝から家族は大忙しで……
 という話が書ければ三丁目の夕日な感じになって素敵かとは思うけれど、べつにそんな時代でもなかったし、自分で買ったわけでもないからよく覚えていない。時期は普通。世間のトレンドから言って、とくに早くも遅くもないころ。
 とはいえ、家のビデオで映画を見られるというのは、やっぱり相当に刺激的なことだった。なにしろソフトさえ手に入れれば、大好きなあの作品も、この作品もいつでも楽しめるのだ。
 しかも何度でも。
 逆に言えば、その機械が家になかったころは大変だった。たぶん多くの映画ファンは。
 くり返し作品を観るためには名画座にでも通うしかなく、テレビでのぶつ切り放送を待ちわびながら、原作やシナリオ(はちょっとおたく)を読み、パンフレットのスチール写真を眺め、サントラ盤のレコードを聴き、足りない部分は「思い出す」。
 そう、貧しいけれど、豊かな想像力あったあのころ……というのはやっぱり三丁目の夕日にまかせたいが、私が名画座によく通った’80年前後でも、客席のうしろのほうに三脚を立てている人、というのをたびたび見かけて驚いたことは確かにある。
 もちろん写真を撮るのだ。
 映画の。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、藤野さんの個人的見解によると、そういう「映画館で写真を撮る人」というのは、角川映画、とりわけ薬師丸ひろ子さんの作品に多かったそうです。確かに、「セーラー服と機関銃」の頃の薬師丸さんはとにかくすごい人気でした。幸運にも僕はこういう人たちと映画館内で遭遇したことはないのですが、映画のいいシーンで(彼らが撮りたいのも、当然そういうシーンなので)、シャッター音、酷いときにはフラッシュまで焚かれていたらしいので、普通に映画を観にきていた人たちにとっては、さぞかし不愉快な話だったと思います。でもまあ、当時からすれば、「好きな映画を観る」ためには、ひたすらテレビで放映されるのを待つしかなかったわけですから、どうしてもスクリーンの中の薬師丸ひろ子を自分の傍に置いておきたい、という気持ちは、わからなくもありません
 それにしても、僕は自分が生まれてから30数年の現代社会というのは、そんなに大きな変化はないんじゃないかと考えがちなのですが、こうしてみると、「家庭用ビデオデッキ」がこんなに普及して、レンタルショップに行けば、観たいビデオがいつでも比較的安価に観られるということだけでも、昔からすれば、まさに隔世の感があります。思い出すと、それまでは、「好きな映画を自分のものにする」ということは、ものすごく大変なことだったんですよね。セルビデオソフトというのは比較的昔からあったのですが、1本で1万円以上もするものがほとんどでしたし、種類も非常に限られていましたし。
 僕たちの日常生活というのはなかなか劇的な変化がないように思えるけれど、レンタルビデオにしても、携帯電話にしても、インターネットにしても、実際の現代社会には「昔にはなかったもの」が満ち溢れているのです。
 あのころ、みんなに白眼視されながら映画館で写真を撮っていた人たちは、今、どういう気持ちなんだろうなあ……