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2006年04月10日(月)
「西原理恵子」の幻影

「悔しいラブレター」(パチンコ必勝本2006・4月2日号、ゲッツ板谷著)より。

【「ゲッツさんのことは西原さんの漫画で知りました」
 「私はサイバラさんの漫画に出てくる板っちが大好きで、板っちことゲッツ板谷さんの本も今度読んでみようと思います」
 「ゲッツさんのエッセイには西原理恵子さんの漫画が入っているので、図書館では借りずに本屋さんで買っています」
 オレの元には、前記のような内容の電子メールや出版社経由のファンレターが多数届く。この1〜2年で西原の名前が混じっているメールや手紙の数はかなり減ったものの、それでも全体の1〜2割のメールや手紙には西原の名前が入っている。で、そういう一文を目にする度に(やっぱし、サイバラのねーさんには足を向けて寝られねえんだなぁ……)といった悔しさも正直感じるのである。
 もう何度も書いていることだが、オレと西原は美大受験のための予備校で知り合い、その後、漫画家になった彼女の後押しがあってオレはライターになった。そして、超売れっ子の漫画家になった西原は、10年近くにも渡って事あるごとにオレのことを各出版社に売り込み続けてくれ、何とかオレが文章で飯が食えるようになっても、さらにオレの本が売れるようにと毎回その表紙のイラストや本文中の漫画を描いてくれたのである。
 そう、オレが出版社に足を突っ込んでからは友だちという関係を超越し、姉というか義理の母というか、とにかくそんな感じの存在としてオレのことを応援し続けてくれたのだ。が、皮肉なことに情が深いサイバラは、その情を受ける身内や友だちにとって、時として「薬」ではなく「毒」になってしまうのである。オレは今までに、サイバラからの強力な援護を受け続けることによって”勘違いの人”になったり、ただ甘えることだけを覚えたり、男芸者のよういに立ち回るようになったりして、結局は表現者としても人間としても腑抜けになってしまった者を何人も見てきた。そして、その度に自分はそうなりたくないと思い、考えた挙げ句に出てきた結論は”西原に対しては感謝をしつつも一生ファイティングポーズを取り続ける”ということだった。つまり、彼女の強大な才能や母性愛には決して飲み込まれずに、いつかきっと西原の漫画より面白くて多くの人を惹きつけるような文章を書いてやろうと心に誓ったのである。

(中略:それからゲッツさんは、少しずつ”西原抜き”の本を出したりしながら、作家としての評価を高めていきます。しかしながら、西原さんは「毎日かあさん」「上京ものがたり」で手塚治虫文化賞短編賞を受賞したりと、さらに幅広く評価されていったので。
 そして、ゲッツさんは、ギャグを捨てて初の自伝的小説である『ワルボロ』を上梓されたのですが、その矢先に、西原さんがある出来事をキッカケに軽い鬱状態になっていることを知ります。ゲッツさんは、そんな状態の西原さんに送るべきか悩んだ末に『ワルボロ』を西原さんに郵送したのです。その3日後に西原さんからゲッツさんに送られてきたのが以下のFAX。

 ワルボロ、届きました。かっこいい本ですね。今日から中国にゆくので旅先でゆっくり読ませて頂きます。
 初小説、本当に本当におめでとうございます。
 これから先、たくさん仕事が増えるでしょうが、どうか断る、やめる、進めるを無理せず決めて下さい(40歳からの体と脳ミソは、おっとろしいほど弱っている事が今回の件でわかった私)。
 人のことを全く言えねーけど、断れない板谷くんが心配です。

                                                そりでは。西原理恵子

 情けない話だが、オレはこのFAXを読んで泣いた。
 やっぱり西原は、オレにとっては姉、もしくは義母のような存在なんだなぁ〜と改めて思い知らされた。完敗だった。いや、未だに同じフィールドにさえ立っていなかったのだ……。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕がゲッツ板谷さんのことをはじめて知ったのも、西原さんの漫画の中でした。今では板谷さんも売れっ子ライターであり、初小説『ワルボロ』も高い評価を受けているのですが、僕にとっても昔の板谷さんが、「西原理恵子の取り巻きライター」のような印象だったのは事実です。書かれていた雑誌も、ギャンブル雑誌がほとんどでした。
 冒頭でゲッツさんは、【かなり減って、「サイバラ言及率」は全体の1〜2割】と書かれていますから、おそらく数年前までは、過半数くらいは「西原理恵子」の名前がメールやファンレター中にあったのではないでしょうか?それはやっぱり、クリエイターとしてのゲッツさんにとっては、必ずしも喜ばしいことではなかったはずです。もちろん、西原さんの力添えがきっかけで「人気ライター」になれたのだと頭では理解していたとしても、やっぱり、「オレは西原理恵子のオマケか!」というような気持ちになったことだって、あったと思うのです。
 それにしても、西原理恵子さんの、この板谷さんに対するフォローというのは、極めて珍しいものだと思うのです。まあ、世間には「名コンビ」と言われる作家と挿絵画家というのは沢山いるのですが、その多くは「お互いにプロになってから知り合ったコンビ」であり、「無名時代からの知り合い」が、ずっとコンビを組んでいるパターンというのは、ほとんどないはずです。ましてや、長い間板谷さんの文章は、「売れっ子漫画家、西原理恵子のヒモ」みたいな存在だったわけですから。もちろん、西原さんだって、板谷さの才能を評価していたのだとは思うのですが、それでも、西原さんには、板谷さんのことは放っておいて、もっと有名で「本が売れる」ライターと組むという選択肢は、いくらでもあったはずなんですよね。
 でも、その一方で、この西原さんの「情の深さ」が、たくさんの人をダメにしてきたというのもよくわかります。それは、けっして西原さんが悪いわけではないのだけれども。
 板谷さんはそんな人たちをずっと見てきて、いつか自分はそうなってしまうのではないか、という恐怖感もずっと抱いていたのだろうなあ、という気がします。
 ここで紹介されている西原さんから板谷さんに送られたFAXを読んで、僕も西原さんの優しさと気配りに涙が出そうになりました。西原さん自身もキツイ状態のときだったはずなのに。
 ただ、この手紙を読んで、こんな優しすぎる人に圧倒的な力で庇護されているというのは、ある意味、ものすごく辛いものだろうなあ、と感じたのも事実なのです。
 誰のせいでもなく、「優しさ」が、かえって行き場を無くしてしまうことというのも、この世界にはあるのかもしれませんね。