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2006年04月06日(木) ■ |
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作家がものを書く「動機」は? |
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「これだけは、村上さんに言っておこう」(村上春樹著・安西水丸絵・朝日新聞社)より。
(読者から送られてきた質問メールの数々に、村上春樹さんが答えた本の一部です)
【質問63:作家がものを書く動機は?
<質問> よく創造的仕事をされる方は自分の心のバランスのためやむにやまれずそれを行っていると聞きます。 以前から誰かに聞きたくて聞く相手が無く困っていたのでここぞとばかりにお尋ねします。作家の方がものを書き始める動機は(1)メッセージを発信するにやまれぬ欲求、(2)文学好き、(3)その他、何なのでしょう?また、メッセージ発信のため自分の内面を見つめぬいていくとどこかでかえって心のバランスを失うことがあると思われますがこの点どのようにバランスをとっておられるのでしょう? 悩める子羊の参考にしたいと思います。(会社員・39歳・男)
<村上春樹さんの解答> とてもむずかしい質問で、簡単に短くは答えられません。でもあえて短く答えますと、結局のところ人は書かずにはいられないから書くのです。たぶん小説家は誰だってそうだと思います。自分の中から文章が溢れ出てくるのです。僕はもう20年近く小説を書いていますが、「どうして自分は書くのか」ということについて考えたことはほとんどありません。考える必要もとくにないからです。 自分の内面を見つめることで心のバランスを失うことはあるか? もちろんあります。問題は自分の内面を見つめていないときに、そのバランスをどのようにリアルにクールに補修し回復していくかということです。僕は音楽を聴いたり、運動をしたり、旅行をしたりしています。インターネットで馬鹿なことを書いているのも、そのひとつかもしれないですね。】
〜〜〜〜〜〜〜 僕はときどき自分に対して、「なぜこんなふうに、お金にも名誉にもならないことを書いているんだろう?」と問いかけてみることがあります。実際、こんなふうに書いている時間があるのなら、英会話教室にでも通ったほうが、レッスン代はかかるにせよ、はるかに一社会人としては気がきいていますよね。まあ、結局は「楽しいから」ということに尽きると思うのですけど。 「作家がものを書く動機は?」というこの質問者の問いに対して、村上さんは、【結局のところ人は書かずにはいられないから書くのです】というふうに答えられています。つまり、「ものを書く」というのは、受験勉強をするような、目的を達するための不自然な努力から生まれてくるものではなくて、夜になったら眠るのと同じような、自分にとっての生理的な現象なのだ、ということなのでしょう。もちろん全ての作家が村上さんのようなタイプとは限りませんし、プロであれば、締め切りに間に合わせるために100%満足ではない作品を世に出さなければならなかったり、「ものを書く」という行為が自分のステップアップの手段だったりする人だっているとは思うのですが、結局のところ、「なぜ書くのか?」なんて考えこんでいるようでは、プロの作家としてやっていくのは無理なようです。むしろ、「書かないと死んでしまう」くらいじゃないとダメなんだろうなあ。
以前、原田宗典さんが、「小説家になるにはどうすればいいですか?」という問いに対して、「そんなノウハウを他人に質問する前に、我慢できなくて机に向かって自分で書きはじめてしまうくらいでないと難しいと思う」というようなことを答えられていたのを読んだ記憶があります。 たぶん、「書くこと」っていうのは、「バランスを失うこと」であると同時に、ある種の「バランスを取り戻すこと」なのではないかと僕は最近考えています。そういう意味では村上さんの「生原稿流出事件」への告発文が「なぜ書かれたのか?」といくら周りが勘繰ってみても、村上さん自身にとっては、「書かずにはいられなかった作品」だったのかもしれませんね。
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