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2006年04月05日(水) ■ |
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「袋小路」のゲーム機たち |
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読売新聞の記事より。
【性能追求から、面白さ重視の原点回帰へ――。これまで、映画並みの動画表現など、機能を高めることを競ってきたゲーム機商戦に、地殻変動が起きている。 超高性能が売り物のマイクロソフト(MS)の「Xbox360」や、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の「プレイステーション」シリーズは販売が伸び悩む一方、性能面は抑えた任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」が、ヒット作ソフトに恵まれて好調な売れ行きだ。 MSは6日に「Xbox360」のてこ入れ策を発表して巻き返しを図るが、高性能化こそが市場を拡大するというこれまでのゲーム機の“常識”は転換点にあるようだ。
◆敬遠――
MSは、ゲーム王国・日本市場の攻略を最重要課題に挙げてきたが、Xbox360は昨年12月の発売以来、3月26日までの販売台数が約12万3000台(ゲーム情報誌出版会社のエンターブレイン調べ)にとどまっている。 一方で、任天堂が3月2日に発売した「ニンテンドーDS Lite」は26日までに約38万4000台を売り上げており、勢いの違いは歴然だ。 Xbox360や、今年11月に発売が延期されたプレイステーション3など、次世代型高性能ゲーム機の泣きどころは、ゲームソフトの開発負担の重さだ。 次世代機は、データ量が多い高品質な画像をスムーズに再生する機能が持ち味で、数年前のスーパーコンピューター並みの性能を備えている。 この性能をフルに引き出すゲームソフトを開発するには、1本あたり数十億円規模と、大作映画に匹敵する開発費が必要とされる。ただ、巨額の開発投資を回収する売り上げを確保できるかどうかは未知数で、こうしたリスクを抱えられるソフト会社は少ない。 初代PSから飛躍的に性能が向上したPS2は、ソフトの売り上げ本数が初代のPSを下回っている。「高性能を追求するあまり、操作が難しいゲームが増えて消費者に敬遠された」(業界関係者)ためという。
◆絶好調――
これに対し、絶好調なのが、任天堂のDSシリーズだ。昨年のゲーム機市場のハードの販売台数は、ニンテンドーDSが400万台と、SCEのPS2や携帯ゲーム機プレイステーション・ポータブル(PSP)の約2倍の売れ行きを示した。追加機種の「DS Lite」は店頭で品切れを起こすほどのブームとなっている。 ヒットの原動力となっているのは、簡単な計算などを繰り返して「脳年齢」を表示する「脳を鍛える大人のDSトレーニング」などのソフトだ。複雑な操作は必要ないが、これまでゲームに興味がなかった女性や中高年層を引きつける面白さが魅力とされる。 任天堂は、1990年代前半までゲーム市場で主導権を握っていたが、SCEやMSの高性能ゲーム機に逆転された。それが、現在は、ゲーム本来の単純な面白さを強調した原点回帰戦略で、復権しつつある形だ。 エンターブレインの浜村弘一社長は、ニンテンドーDSの好調さについて「ゲーム機の売れ行きは、ソフトなどのアイデア次第であることを証明した」と分析している。】
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それこそ画面の中を白い棒と球が動くだけだったものが「テニスゲーム」なんて呼ばれていたような「テレビゲーム創成期」からゲームという娯楽に接してきた僕としては、正直、複雑な気分になる記事でした。 たぶん、「ゲーム」という文化は一般化してきて、みんなのものになってきているのだと思います。2005年の日本のシングルCDで唯一ミリオンセラーになったのが「青春アミーゴ」だったのですが、「ファイナルファンタジー12」は200万本売れていますし、「大人のDSトレーニング」も軽く100万本を突破しているのですから。
でも、その一方で、「ゲームという娯楽」は、少なくとも技術的にはある種の袋小路に入ってしまったような気がしてなりません。 僕がマイコンでゲームを始めた頃には、「画面上のキャラクターがアニメーションする」とか「ゲームで登場人物が喋る」というような、「技術的な革新」というのは、ユーザーにとっての「ゲームの面白さ」に、かなり直結していました。というか、当時のゲームって、「ゲームでこんなこともできるようになったのか!」という驚きに満ち溢れていたのです。もちろん、それが必ずしも「ゲーム性」に直結していない場合もあったんですけどね。
例えば、「映画」という娯楽になぞらえれば、「画面が動く」という驚きのあと、「トーキー」(弁士ではなく、画面の登場人物がリアルタイムでセリフを喋る)になって人々は驚き、あの「風と共に去りぬ」で画面がカラーになったことによって、観客は喝采しました。もちろん、「風と共に去りぬ」は、その「最初のカラー作品」というインパクトがなくても素晴らしい作品だったと思いますが、それでも、当時の映画には、「そんなことができるようになるなんて!」という、作品への評価以上の観客の「驚き」があったのだと思います。もちろん、僕たちには当時の人々の感慨は、想像する以外にはどうしようもないのですが。 「映画」は、もちろん今も進化し続けています。凄いSFXや3Dサウンドなんて、昔の人からすれば、夢みたいな話でしょう。でも、少なくとも今の僕たちは、「SFXが凄いから」というだけで、無条件に映画を賞賛したりはしなくなりました。要するに「そんなの当たり前」の基準がどんどん高くなってしまっているんですよね。
ゲームの世界も、たぶんそんなふうになりつつあるのです。「画面上の女の子が瞬目をする」だけのことで歓声を上げていた僕たちは、それより遥かに技術的には上を行っているはずのXbox360の凄い画面を観ても、正直、「まあ、次世代機なんだから、そのくらいはやってくれなくっちゃね」としか思えなくなってしまっています。でもそれって、「技術の革新とともに喜びがあった時代」の遺物である僕としては、寂しいことでもあるのです。ああ、自分はここまでゲームに慣れてしまったのか…と。
たぶん、これからもいろんな人の「工夫」によって、面白いゲームというのはたくさん出てくるでしょう。 しかしながら、ダイナミックな「技術的な革新に伴う喜び」というのを感じることは、もう、無くなってしまうのかもしれません。「アイディア次第」というのは、裏を返せば、「アイディアでしか変化をつけられない」という、良く言えば「安定期」悪く言えば「停滞期」なのかな、とも思えるのです。
僕も最近のプレステ2のゲームは、パッケージを開けてマニュアルを観ただけでお腹いっぱいになってしまうことが多いしなあ……
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