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2006年04月04日(火)
新潮文庫の背表紙の秘密

「この文庫がすごい!2005年度版」(宝島社)より。

(作家・伊坂幸太郎さんのインタビューの一部です。取材・文は、友清哲さん)

【伊坂:自分が新潮社でデビューしたからというわけではないんですけど、新潮文庫は背表紙のカラーが作家ごとに決まっていたり、いろいろ工夫されている点が好きですね。

インタビュアー:あ、ホントだ!『オーデュポン(の祈り)』はホワイトですが、『ラッシュ(ライフ)』は水色ですね。

伊坂:一冊目はみんな白と決まっているそうなんですが、二冊目から色が付く。だから今後『オーデュポン』も重版されることがあれば、この水色が付くそうです。

インタビュアー:なるほど! これが新潮文庫における伊坂さんのイメージカラーになるわけですね。

伊坂:何色がいいか聞かれて「薄い青」と答えたら、同系統の色を何パターンか見せてくれて、そこから選ばせてもらったんです。面白いですよね。

インタビュアー:ところで、『オーデュポン』は文庫化に際して、150枚(原稿用紙換算)も削られたどうですが、その意図は?

伊坂:そもそも僕自身、本は携帯するものという意識があるので、分厚くするのは気が進まなくて。それに、冒険小説などならともかく、僕が書く作品というのは、それほど長い分量が必要なものではないと思っているんですよ。長くなるのはむしろ書き手の怠慢だと思っているほどで。『オーデュポン』はとくにムダに長かったので、絶対もっと削れるはずだと思っていました。

インタビュアー:具体的にはどのような部分を削られたのでしょう?

伊坂:同じことをいろんな箇所で何度も言ってたりしたので、とにかくムダな部分を削りました。それにもうひとつ、やはりこれはデビュー作なので、いま読み返すと文章的に厳しいというのもありましたね。単行本版を読み返すと、もう全部書き直したいくらいで……。結果的に150枚ほど削ることになったんです。

インタビュアー:それでもストーリー自体は変わっていませんね。

伊坂:そうですね。細かいシーンが削られたりはしてますけど。実際もう、1ページ目から全然文章が違うので、なかには両方読んでくれて「まったく書き換えられているんですね」と気付いてくれた人もいました。

(中略)

インタビュアー:下世話な話ですが、ページ数が多いほうが価格も下げられて、そのぶん印税も上がる……なんて計算は働かないものなのでしょうか? 少なくとも出版社サイドにはそういう営業的な戦略はあると思いますが。

伊坂:これは決してキレイ事ではないんですが、僕は自分の作品が安ければ安いほど嬉しいです。単純な話、安いほうが売れるとも思ってますし(笑)、それだけ多くの人の手に取ってもらえれば。それに、やっぱり文庫本は、持ち歩きたいときにサッと鞄に入れられるほうがいいですよね。】

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 「文庫」というのは、新刊書に比べれば、どうしてもデザイン上の制約などが大きくなるのですが(そりゃあ、「文庫サイズ」じゃないといけないしね)、新潮文庫の背表紙の「作家固有の色」というのは、けっこう洒落ているなあ、とこれを読んで思いました。「最初の1冊の初版はみんな白」だそうですから、本屋さんの文庫本コーナーに、「自分の色」の本がずらっと並んでいるのを見るのは、作家にとっては、ものすごく嬉しいことだろうなあ、と思います。しかも、その「色」は、作家本人が選べるというのですから。僕はああいうのって、出版社がある程度決めてしまうものだとばかり思っていました。本の装丁ならともかく、背表紙の色にまで、そんなに気を遣っているなんて。いや、もしかしたら、選べるのは伊坂さんみたいな人気作家の特権だったりするのかもしれませんけどね。

 ところで、僕は最近、伊坂さんの作品である「死神の精度」「魔王」を新刊書で読む機会があったのですが、そのいずれも、最初に手にとったときには、「値段のわりには薄い本だな…」と思ったのです。でも、実際にページ数を見てみると、薄いと思ったその本は250ページを超えており、けっして「短いわりに高い」わけではないんですよね。そりゃあ、「もっと長くて、同じ位の値段の本」はたくさんあるとしても。
 このインタビューを読んでみると、伊坂さんは、新刊書の装丁においても、外見上「分厚くてお得な感じを与える本」にするのではなく、あえて薄い紙を使って、「本が厚くならないように」しているように思われます。しかしながら、いくら昔の作品とはいえ、わざわざ時間をかけて150枚も削ってしまうというこだわりっぷりも凄いですよね(ちなみに、『ラッシュライフ』のほうは、80ページくらい削っているそうです)。もちろん、そういう手間をかけることによって、コアなファンは両方読んでくれるというメリットはあるのでしょうが、削ることが必ずしもプラスになるとは限らないわけですから。

 「文庫化するときには、必ず書き直す」なんていう高村薫さんのような人もいるくらいなので、やっぱり昔から「本好き」だった作家にとっては、「文庫」というのは、特別な思い入れがあるものなのでしょう。作家になる人たちだって、学生時代に新刊書を買いまくるほどお金持ちじゃなかっただろうし。伊坂さんが【単純な話、安いほうが売れるとも思ってますし(笑)、それだけ多くの人の手に取ってもらえれば。】と仰っているように、同じ100万円の印税なら、2000円の新刊書が5千部売れるより、500円の文庫が2万部売れたほうが、よりたくさんの人にも読んでもらえているわけですしね。