初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2006年02月04日(土)
WEB日記における、「一人称」問題

「ゴーマニズム宣言EXTRA・挑戦的平和論・上巻」(小林よしのり著・幻冬舎)より。

【もともとわしが自分のことを「わし」と言うのは、未熟への羞恥心からだ。老人への憧れからだ。
 「僕」は幼稚そうで、甘えていそうで嫌い。
 「私」は、福岡・博多の感覚からいくと女みたい。
 「俺」は気取ってる。野性的に見せようとしてる。矢沢永吉なら似合うが、わしには似合わない。
 結局、「わし」というのが、一番、恥ずかしくない。気取りがない。そう思って、高校の頃から「わし」と言い始めた。】

〜〜〜〜〜〜〜
 
 「自分のことを何と言うのか?」というのは、僕にとっても難しいテーマなのです。小学校低学年くらいまでは、定型的に「ぼく」で良かったと思うのですが、中学から大学くらいまでは、常に「自分のことを一人称でどう呼ぶのがいちばん正しいのか?」と悩んできたような気がします。
 「僕」なんていうのは、確かに甘えているというか、九州の片田舎で自分のことを「僕」なんて呼んで許されるのはドラえもんくらいでしたし、「俺」っていうのも、どう考えても僕のキャラクターに合っておらず、まさに「背伸びして野性的に見せようとしている」みたいだったし、「自分」はちょっと体育会系すぎだし。「私」なんていうのは、テレビドラマのサラリーマンが会議中に使うような言葉で、まさに「論外」だったんですよね。「わし」っていうのも、ヤクザみたいで趣味じゃない。
 というわけで、僕自身は、それがどうしても必要なとき以外は、「一人称」をなるべく使わないようにして生きてきた記憶があります。そういえば、大学時代などは、がんばって「お、オレは…」とかいう感じで喋ったりしていましたが、周囲からみれば、「オレって感じじゃないのにねえ…」なんて後ろ指をさされていたのかもしれません。まあ、そんなふうに僕が過剰な自意識と闘っている一方で、周りはそんなこといちいち気にしていなかった可能性が高いのですけど。

 しかし、こうやってWEBとかに文章を書くときって、この「一人称問題」を避けては通れないですよね。僕の場合は、今ではすっかり「僕」に落ち着いてしまいましたが、最初は、なんだか「僕」だなんてカッコつけてるなあ、と自分でも気恥ずかしかったことを覚えています。そして、書き言葉の場合は、漢字の「僕」とひらがなの「ぼく」、カタカナの「ボク」は、それぞれまた違うニュアンスを持っているのです(僕のイメージでは、漢字>ひらがな>カタカナ)の順に、ちょっと堅苦しく感じられます)。
例えば、
「わしが『番長』清原じゃ!」というのと、
「ワシが『番長』清原じゃ!」というのでは、後者のほうが、ちょっとおっかない雰囲気がアップするような気がしませんか?
 「僕」って書いたら村上春樹っぽいし、「おれ」は筒井康隆っぽいし、女性の「アタシ」は椎名林檎っぽいなあ、とか、「自分のことをどう呼ぶのか?」というだけで、読み手のほうが、けっこういろんな印象を持ってしまうものなのですよね。そう考えると、本当に「僕」でいいのか?とか、また悩みはじめてしまいます。
 まあ、こちらに以前書いたように、「日記」には、「一人称」なんて必要ない、というのが正しいのかもしれません。むしろ、そうできたら、すごくラクになりそうな気もするのですが。