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2006年01月24日(火)
堀江社長は、僕だったのかもしれない。

日刊スポーツの記事より。

【「いつかこうなるのではと思っていたが、こんなに早いとは」。ライブドアグループの証券取引法違反事件で23日、堀江貴文容疑者(33)らが逮捕された。同社は動揺はないとしているが、本社のある東京・六本木ヒルズ周辺では通行人らが驚きを隠さなかった。
 同社広報によると、社員に目に見えるような動揺はなく、「各事業部とも業務を続けている。報道機関からの電話が殺到している」という。
 六本木ヒルズでは、買い物に来た東京都国立市の会社員中村美保さん(39)が「企業の買収を繰り返し、苦労しないで簡単に金をもうけてきたので、しっぺ返しが来たのだろう。社会に対する警告のように思える」と分析。
 新潟県燕市から夫婦で旅行に来た公務員(51)は「プロ野球の球団を持たなくてよかった。堀江さんにはそれなりの知識もあったはずなのに、年配のいさめ役がいなかったのがまずかったのでは」。千葉県の無職男性(66)は「ああいうやり方はだめだ。金を稼ぐには汗水たらさなきゃ」と不快感をあらわにした。
 一方、東京・霞が関の東京地検周辺には、多数の報道陣が詰め掛け、検察関係の車が出入りするたびに、カメラのフラッシュがたかれ、テレビのスポットライトが浴びせられた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 昨夜、堀江社長逮捕を受けて、テレビでは、さまざまな特番が流されていました。
 そんななか、僕は、「堀江社長の半生」が紹介されているコーナーを見て、なんともいえない気分になったのです。
 堀江社長は、僕とほとんど同じ年齢の33歳。
 福岡県の八女という地方の小都市に生まれた堀江社長の家は、けっして裕福というわけではなく、お父さんに買ってもらえたのは、自転車、百科事典、天体望遠鏡だけ(ちなみに、その20巻もの百科事典を、堀江社長は小学校時代に全部「読破」してしまったそうです)。
 堀江社長は、小学校のころ、向学心に感銘を受けた先生に勧められ通っていた塾で、英語の勉強のために置かれていたパソコン(当時なら「マイコン」と言ったほうが適切でしょうね)に出会い、その面白さに心を奪われて、英語の勉強そっちのけでプログラミングに夢中になったそうです。当時、月給1万7千円で新聞配達のバイトをしていたという堀江少年の部屋には、PC-9801という僕の世代にとっては懐かしく、また高嶺の花であったマイコンが、今でも置いてありました。たぶん、東大在学中から自分の会社を立ち上げて、実家にはたまに帰省するくらいだったので今でも残されているのでしょうけど、親が買ってくれるような状況ではないのに、あの時代に高校生くらいでPC-9801を手に入れた堀江社長は、本当にマイコンが好きで好きでたまらなかったのだろうなあ、と、今はもう埃をかぶっているそのマシンを見ながら、僕も昔の自分を思い出してしまいました。

 僕がマイコンにはじめて触れたのも、ちょうど小学校高学年くらいのときで、「ゲームセンターあらし」を書いていた、すがやみつるさんの本や、ケイブンシャの「マイコン大百科」などで、その「自分でプログラムを組んで、自由に好きなことができる機械」に憧れたものでした。今となってはみんなが当たり前だと思っていることなのでしょうが、「A」と書いてあるキーを押したら、画面に「A」が表示されるというだけのことすら、当時の僕たちには驚くべきことだったのです。そして、自分のマシンをなんとか手に入れた僕は、友達と「ゲーム会社を作って一攫千金!」というような将来設計を、けっこう本気で話しあっていました。当時は、まだ「コンピューターに関する仕事には、無限の未来が広がっている」と、僕たちは信じていて、好きなマイコンをいじって暮らしていくための方法を、いろいろ夢想していたものでした。
 たぶん、そんな夢を抱いていたのは僕たちだけじゃなくて、あの時代には、この「コンピューター」という未知の可能性を秘めた道具に魅せられてしまった人が、たくさんいたはずです。
 もし、もっと頭がよくて、世界に対して野心を持っていたら、と僕は考えます。中学生の頃の僕の「なりたかった姿」は、逮捕される前までの堀江社長に重なっているところがたくさんあるのです。女性の趣味だけは、さすがにどうかな、とは思いますけど。

 堀江社長と同じ世代の僕には、堀江社長が子供時代に通ってきた道は自分が通ってきた道と重なりますし、堀江社長が青年時代に通ってきた道は、もしかしたら、自分が通ったかもしれない道であったような気がしてなりません。堀江社長も、たぶん最初は、コンピューターという道具に魅せられ、とりつかれてしまったひとりの子供だったのではないでしょうか。そして、自分の好きなことで、「成功」を掴みたかったのだと思うのです。あの、アップル社の創設者の2人のように。
 それがどこで「歪んでしまった」のかはわからないけれど、33歳という年齢は、おだてられたり、叩かれたり、裏切られたりという、いろんな世間の荒波に対して完璧に対応できるほど「大人」じゃないし、堀江社長自身も、自分は前にひたすら進んでいるつもりでも、実際は、後戻りできないところに追いつめられていたのでしょう。

 僕は出しゃばりで口先ばっかりで容赦のない「ホリエモン」という人は嫌いです。でも、同じ時代に「マイコン少年」だった身としては、なんだか、みんなに「極悪人」呼ばわりされているのには、あまりにも悲しくなってしまうのです。もちろん彼がやったことは法に触れているのだし、多くの人を絶望させたり混乱させたりする結果になってしまったのですが、本当はただ、「誰よりも大きい会社をつくりたい」という、いささか幼稚かつ無防備すぎる欲求だけが、それを止める人もないままに巨大化してしまっただけなのかもしれません。でも、それを客観視できるほど、堀江社長は「大人」になることができなかった。今の世の中の33歳なんて、所詮、そんなものです。
 みんな口を揃えて「堀江社長を反面教師にして、汗水たらして働け」って言うけど、その中には、堀江社長ほど汗水たらして働いてきた人は、ほとんどいないはずなのに。

 もしかしたら、堀江社長は、僕だったのかもしれない。
 そんなふうに考えると、僕は、彼の失敗を「それ見たことか!」と他人事として嘲笑する気には、やっぱりなれないのです。