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2006年01月23日(月) ■ |
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ネットで文章を書く「正しい動機」とは? |
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「おとなの小論文教室。」(山田ズーニー著・河出書房新社)より。
【何を書くかより、どんな気持ちで書くか、つまり、動機が大切と、私は、ここで何度か言ってきた。 このコラムも、自分の頭を動かしてものを考える人や、自分らしい言葉で伝える人が、一人でも二人でも増えてくれたらいい、そう思って書いている。 では、はやくから動機がはっきりしていた自分は、迷いがないのだろうか? とんでもない。 むしろ、動機がはっきりしてから問題は起きた。 コラムを書きはじめて1年たったころだろうか、邪念が浮かぶようになった。 書いていて、褒められたいとか、認められたいとか、仕事を得たいとか、不純な動機がでてくるようになったのだ。欲と言ったらいいか。 読者の目はごまかせないから、書き手の想いは、見透かされてしまう。なんとか、しなければ。 そこで、私は、構想メモに、 「この文章に向かう動機は何か?」はっきり書いて臨んだ。 迷ったときは、つねにそこを読み直す。 あるいは、徹底的に考え抜いて、邪心を排除することに努めた。たとえば、 「自分だったら、人がそんな気持ちで書いたものを読みたいと思う?」 「認められたらどうしたいの?⇒人の力を引き出す仕事をしたい⇒だったらいま、純粋に人の力を引き出すものを書けばいい」 というふうに。 滑稽に見えるかもしれないけど、私は、大まじめに考え抜いて、自分を納得され、不純な動機を一つひとつ消していった。
そしたら、なんと! 書けなくなった。
初夏だったと思うが、家でパソコンに向かっていることもできず、下北沢を歩き回り、歩き回っても、どうにも、どんどん、追いつめられていき、なにひとつ、わき起こってこないまま、家に帰り、再びパソコンに向かったときの自分のふさがりようといったらなかった。 そのとき体の芯がつかんだ。
動機がひとつ、は、いけないんだ、と。 動機はいくつもあったほうがいいのだと。
褒められたい、という気持ちがわいたら、それも自分と受け入れる。 仕事を得たいと思ったら、それも、素直な気持ちと認める。
そうやって、清濁あわさったものの中から、もっと太くて、あったかい、自分の動機を立ち上げていけばいいのだ。 そういうふうにしていったら、逆に、まわりを気にせず書けるようになっていた。】
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なぜ書くのか?
この疑問は、僕だけではなく、こうしてWEB上に文章を書いている人のすべてが、一度は抱くものだと思うのです。そして、「これでお金を稼ぎたい」と言えば「身の程知らず!」と揶揄され、「たくさんの人に読んでもらいたい」と言えば「アクセス厨!」となじられ、「自分のため」とか「書きたいから」と言えば「それなら広告の裏にでも書いとけ!」と罵倒されることになります。もちろん、「その人なりの正解」というのはあるのでしょうけど、実際にひとつひとつ考えていくと「不純な要素が皆無の動機」って、全然なくなってしまうように思えます。
率直なところを言ってしまえば、僕だってこの「活字中毒R。」を書くことによって、誰かから褒められれば嬉しいし、アクセスがたくさんあればやりがいを感じるし、内心では、これを書くことによって、それこそ、文章の仕事でも来ないかなあ、とかいう淡い期待すら抱いていることを否定できません。それは「現実的な欲求」というよりは、オリンピックになんとか出場できたレベルの選手が「何かのアクシデントで、自分が金メダル、なんてことがあったりしないかなあ…」というようなものかもしれませんが、それでも、そういう「欲」が無いわけじゃないし、そんなの「お前はダメなんだから、最初から絶対負けると思って参加しろ」というのはまさに余計なお世話でしょう。
この文章を読んで、僕もちょっと気がラクになりました。「書く理由」というのは、けっして「純粋なもの」だけではないし、「自分を表現したいという切実なる意思」と「誰かに認めてもらいたいという欲望」とか「有名になったり、お金を儲けられればいいなあ、という期待」が混在しているのは、けっして不思議なことではないんですよね。むしろ、そういうった「さまざまな理由」を併せ持っているのが「普通」なのです。 プロの作家でも、「表現欲」「創作欲」があるのはもちろんですが、それで世間に評価されたいとか、印税で暮らしたい、という気持ちがあるはずですし、「より多くの人に読んでもらいたいから、自分の分の印税をもらわないで、その分、本の値段を安くしてほしい」と申し出たという作家の話は聞いたことがありません(チャリティ目的で、本の印税を寄付するというのは、けっこうあるみたいなのですが)。
もちろん人によってその内訳に強弱はあるにせよ、「書く理由」というのは、そんなに立派なものばかりじゃなくていいみたいです。 まあ、「アクセス稼ぎ成分」や「自分が目立ちたい成分」があまりに過剰だと、読む側としては、ちょっと引いてしまうのは事実ですけど。
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