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2006年01月11日(水) ■ |
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35歳、クラゲに「人生」を学ぶ。 |
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「らもチチ わたしの半生〜中年篇」(中島らも、チチ松村・講談社文庫)より。
(中島らも、チチ松村の二人が、今までのお互いの人生を対談形式で振り返るというラジオ番組を基にした本の一部)
【チチ松村(以下チチ):らもさん、男の35歳と言うたら、普通の人ならどういうころですか?
中島らも(以下らも):えーとね、係長クラス……。
チチ:ちょっと偉くなったような感じかな。
らも:会社員だと主任から係長になって、課長が鼻の先にぶら下がっているな、という感じちゃうかな。
チチ:そうやろうね。それで働き盛りというか、男盛りというか、一番頑張るときやん。
らも:そうやね。実力の見えてくるときやね。
チチ:そうでしょ。ぼくにもその35歳のとき、人生における衝撃的な出会いがありました。
らも:性転換した。
チチ:ちゃうちゃう。ちゃうちゃう。
らも:ちがうの?
チチ:クラゲ。
らも:あ、クラゲと出会ったの?
チチ:そうですよ。ぼく、1990年にクラゲと出会いました。これは、ぼくにとって衝撃的でした。35、6歳にもなったら、普通、何にも影響されへんからね。
らも:頑とした自分というものができてくる時期だからね。
チチ:そのときにクラゲに出会ったわけです。
らも:クラゲ。
チチ:うん。「これや!!」と思ったんですよ。
らも:(笑)
チチ:おかしいかも知れんけど、ぼくはそれまで、らもさんのリリパット・アーミーに出て、桂吉朝さんの落語を聴きに行って、”茶人”というのに、「これや」と思ったときもありました。2つに分かれた自分の道を、どっち行ったらええかわからへんから、風に決めてもらう生き方をしてた。それを”風流”と呼んでましたね、ぼくは。”風流”が一番やなと。どっちの道行っても正しいことなんかないと。そんなもん、行ったほうでいかに楽しく過ごすかに賭けようと。 だから、自分で決めんと、全部吹いてきた風に流されて生きたらええがなと。右から吹いてきたら左に行こうと。それで、人生を決めようと。それを誰か他人に決めてもろうたら、その人に責任転嫁ということや。「君が言うたから、こっちに来たんやで」って言ったら、その人の責任にしてるでしょ。それは、その人に迷惑をかける。ところが”風”やったら怒れへんわな。
らも:まあ、そうやな。
チチ:「あのとき風が吹いてきたからな」ですむ。それで、自分の生き方を”風流”と呼んでました、35歳のころまで。 ところが、一人やったらいいんですよ、これが。一人で生活していると、流されようが何しようがだれにも迷惑をかけへん。ところが、ぼくには家族もいるし、周りに音楽のスタッフもいますよね。そうすると、自分でどうするかをはっきりせえへんかったら、だれもついてけえへん。
らも:周りが迷惑するわな。
チチ:めちゃめちゃ迷惑して、「どうするんや」と。「どうしたいんですか」とかね。「いや、そう言われても」とか言って、ほんまに自分の食いたいものも自分で決めてへんかったときがある。「何にしようかな」「なら、これ食うたらどうですか?」と言われたら、「あ、そうしよ」とか。「お風呂、入ったらどうですか?」「なら、入ろうか」と言うて、全部自分で決めずに生きとったら、ものすごい迷惑をかけたみたなんです。 だから風流という生き方はいいけど、これはもうあかんかなと。自分の中で悩みが入ったんや。めずらしいんや。ぼく、悩むことがあんまりないねんけどね。「んー」と、唸ってたときに神戸の須磨に水族館がありまして、そこへたまたま行ったんかな、夏ぐらいに。変な魚、いろんな魚がいるからおもろいなとか思いながら見てたら、むこうのほうにすごいきれいなものが見えてきたんですよ。「何や、これ」……クラゲ。それを見た瞬間に頭の中がブワァーっと音が立つような感じで、「これや、これや」。その前で30分以上、見つめたままですよ。
らも:変なおじさん。
チチ:何で(笑)。どうして僕が感動したかというと、クラゲは水槽の中でつくられた波があるでしょ。それによって完全に流されてたんですよ。自分に意思がない、クラゲというのは。
らも:自分というのがないわけや。
チチ:ないんです。我がない。ぼくは、自分というものをなくしているという意味で、”自我”がないというふうにとったんやけどね。自我のない流され方というのは、きれいやなと思いました。 自分の中で、風流があかんと思っていたんやけど、クラゲを見た瞬間に、「いや、やっぱり風流でええのや」と思ったわけよ。「このクラゲを見よ」と。ふらふら水の流れに流されてる姿が、めちゃくちゃ芸術的だったんでしょ。ミズクラゲやったんですけどね、見たのは。ミズクラゲは水槽の中でたばこの煙のように漂ってた。たばこの煙っていろんなふうに姿を変えるでしょ、瞬間的に。そんな感じ。水槽の中でアート作品が生まれていく感じ。きれいやな、と。こんなきれいなもんか、クラゲっていうのは、と。それで、「そうか、ぼくも流されて生きて、このように瞬間、瞬間にものすごい変化していったら、迷惑をかけるどころか人を感動させられるんやないかな」と思ったんですよ。これしかないと、35歳にして、やっぱりおれの師匠はクラゲやなと。この”クラゲ師匠”にいろいろ学ぶべきことが多いんちゃうかなと。それなら今まで迷惑をかけてた人も、あまりにもぼくの流され方がきれいだったら許してくれるんやないかなと。それで、クラゲに家に来てもらう段取りを始めたわけ、見た瞬間から。それまでぼくの中には、やる気とか努力とかいう言葉がなかったんですよ、おじいさんに憧れてたから。おじいさんとかはあんまり闘わへんでしょ(笑)。
らも:闘うじじいはあんまりいないよな。
チチ:「流されて生きるんじゃ」、みたいな感じやったのが、そのクラゲを見た瞬間にクラゲのやる気のなさとはちがうやる気が出た。】
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チチ松村さん、35歳のときの述懐。このあとチチさんは”クラゲ師匠”に家に来てもらうために水族館の職員の人に教えを請うて、ついには、「日本の家庭クラゲ飼育の第一人者」となり、クラゲの本まで出版されることになるのです。ほんと、クラゲの「やる気のなさ」に魅せられてしまったわりには、その後のチチさんの行動は、やる気満々なんですよね。 ところで、僕がこの文章を読みながら、ちょうど今現在、このときのチチさんと同世代の男として考えたのは、「ああ、優柔不断というのも、ひとつの『生き方』なんだよなあ」ということでした。僕も30年以上も”風流”というか、優柔不断人生を送ってきて、ごはんを食べに行く場所もなかなか決められず、ずっと、「もっと決断力のある男にならなくては!」と年初めには決意してきたのですが、なんだか、このくらいの年齢になってみると、もういまさら「即断即決の人間」にはなれない、ということがわかってきたのです。そして、「自分の道を自分で切り開こう!」というよりは、僕は革命家ではないし、それこそ【行ったほうでいかに楽しく過ごすかに賭けよう】と。 そして、この年齢になって、そういう自分を、ようやく許容できるようになってきたのです。ちょっと、遅すぎるのかもしれませんけど。 僕も急にクラゲに目覚めたりするかもしれませんが、とりあえず、流されてみるのもそんなに悪いことじゃないと、気楽に生きていければなあ、と思います。世の中には、なんでも自分で決めないと気がすまない人だっているんだから、それはそれで、全体としてはバランスがとれているのかもしれないしさ。 でもなあ、「まったく自我なく流される」っていうのも、それはそれで難しいことですよね、実際は。
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