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2006年01月12日(木)
あなたには、本当の「貧乏」は理解できない。

「きまぐれ遊歩道」(星新一著・新潮文庫)より。

【トルストイは貴族なのに、最も貧しい人たちと同じ生活をしようとした。あるアメリカ人は「立派なことだが、それで貧乏は理解できない。金品の不足ではなく、今後の生活への恐怖が貧乏なのだから」と言った。】

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 レフ・ニコライビッチ・トルストイ(1828〜1910)は、『アンナ・カレーニナ』、『戦争と平和』などで知られるロシアの文豪です。彼の祖先はロシア皇帝の側近で、トルストイも名門貴族の一員でした。そんな出自でありながら貧しい人たちに目を向け、その生活を描き、自ら財を投じて彼らの生活を支援し、文学と政治の両方に大きな影響を与えました。
 そんなトルストイに対する、この「あるアメリカ人」の言葉は、ものすごく辛辣なもののようにも感じます。でも、これはまさに「貧乏」というものの本質を衝いた言葉なのですよね。
 今の日本のバラエティ番組で取り上げられている「ビンボーさん」たちに対して僕たちがそんなに「切実さ」を感じないのは、たぶん、このアメリカ人が指摘しているような「今後の生活への切実な恐怖」を、彼らが抱えていないように見えるからだと思うのです。いや、彼らなりに「今後への不安」というのはあるには決まっているのですが、今の日本では、そう簡単に飢え死にしないことはみんな知っています。それに、若者にとっての「未来のための準備期間としての金銭の不足」には、将来への希望だってありますしね。
 確かに、いつでも元の暮らしに戻れる人が、「貧しい人の気持ちを理解するために」どんなに安くて不味いものを食べていたとしても、それは「本当に貧しい人々」からすれば、単なる「酔狂」でしかないのかもしれません。 ただ、そうだとするならば、「結局、金持ちには『貧しさの本質』というのは理解不能なのだ」ということになってしまうのですけど……