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2006年01月10日(火) ■ |
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「東京コンプレックス」を超えた「任天堂らしさ」 |
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「週刊ファミ通」(エンターブレイン)2006.1.20号のインタビュー記事「宮本茂氏に聞く!!『大玉』、”任天堂”、そして……2006年」より。
(あの「スーパーマリオブラザーズ」や「ゼルダの伝説」など、数々の傑作ゲームの生みの親、宮本茂さんへのインタビュー記事の一部です)
【インタビュアー:原点という意味で、具体的に”任天堂らしさ” とはどういうことか、教えていただけますか。
宮本:”人を楽しませることにどん欲”。そして”お客さんに対して誠意を持ってモノを作る”というところですかね。ファミコンのころからそうなんですよ。子供が乱暴に使っても壊れず、機構をシンプルにして誰でもメンテナンスできるようにする、とかね。ビジネスの上では、すごく不利なことをいっぱいしてるんです(苦笑)。見えないところにたくさんコストをかけてますから。そういう風にモノを作ることが好きな人が、任天堂には昔からたくさんいたんですよ。
インタビュアー:原点という逸話として、かつてバブルの時代に、山内溥前社長(現相談役)が、任天堂の本社を東京に移すという話が挙がったとき、「任天堂は東京を相手に商売してるんやない。世界や」と言って京都から動かなかった、と聞きました。そういう頑なな考えかたにも任天堂の哲学を感じます。
宮本:山内さんの話はいま初めて聞きましたけど、僕も見えないとことで影響を受けているんでしょうね。僕は東京に対する劣等感って、ぜんぜんないんです。日々、同じペースで生きている。でも考えてみるとハタチそこそこで入社したときはね、やっぱり東京で最先端の流行に触れたい、流行りの工業デザインをマネしたい、とか思ったんですよ。そういう、人生でいちばん熱い時期に、言ってみれば無理矢理、京都に縛られていたんですね。しかし仕事を続けていくうちに「流行を追いかけるのではなく、自分自身が何を作るかがいちばん大事なんだ」ということに自然と気づかされたんです。妙に東京を意識していたら、『スーパーマリオブラザーズ』は生まれなかったでしょう。そういう意味では、京都にいたことは非常にラッキーでしたね。】
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宮本茂さんといえば、まさに日本を代表する世界的なゲームクリエーターなのですが、その宮本さんへのインタビュー、非常に興味深かったです。 僕のようにずっと田舎で暮らしている人間にとっては、やっぱり「東京コンプレックス」というような感覚はあって、「やっぱり、一流は東京に行かないとね…」みたいな先入観を拭えないとことはあるのです。でも、確かに「東京」というのも世界レベルでみれば「比較的人口が多い都市のひとつ」に過ぎませんから、世界を相手にするのであれば、「東京でも京都でも一緒」なのですよね。歴史のある京都であれば、世界的知名度もそんなに変わりはないでしょうし。 まあ、モノは考えよう、という面もあるにせよ、東京に行くことが、必ずしもプラスに作用する場合だけではないみたいです。少なくとも日本のなかでは「最新のモノたち」に接する機会は多くなると思うのですが、逆に、そられの影響を受けすぎてしまて、自分のオリジナリティを失ってしまう場合も少なくないみたいですし。 【「流行を追いかけるのではなく、自分自身が何を作るかがいちばん大事なんだ」】という宮本さんの言葉を聞くと、田舎に住んでいるから…なんていうのは、単なる自分がラクをしたいための「言い訳」なのかもしれないな、と思えてくるのです。とくに今みたいに通信の手段が進歩している世の中では、「都会」と「田舎」の格差はかなり狭まっているはずですし。
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