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2006年01月09日(月)
「一人で喫茶店や定食屋に座っている」という未来予想図

「本の雑誌」(本の雑誌社)2006.1月号の「笹塚日記」(目黒孝二著)より。

【11月16日(水)
 昼に起床。買い置きのパンがないので駅前のQUEEN'S ISETANに行くが、本日はお休み。仕方なく、京王クラウン街のベーカリー ルパで、コロッケパンとサンドイッチを購入して帰途。コーヒーが飲みたくなったので駅前のドトール。サンケイスポーツを読みながらしばらく休憩。昼休みなのでサラリーマンやOLが多いのは当然だが、おやっと思ったのは老人が意外に多いこと。そういえば先週の土曜日の朝、東京競馬場近くの定食屋に入ると、そこにも老人が多かった。それが全部一人。店の入り口から奥まで8人掛けのテーブルが続いている店だが、その各テーブルに座っているのは老人一人ずつなのだ。だから会話もなく、淡々と新聞を見ているだけ。なんだか異様な光景だった。私も年をとれば友人が少なくなって、一人で喫茶店や定食屋に座っているのだろうか。いや、もうすでに年をとっているんだけど。なんだかなあと思いながら、仕事場に戻って新刊ガイド。ひたすら夕方までワープロに向かい続ける。】

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 ああ、この「競馬場近くの定食屋で淡々と新聞を読んでいる老人」というのは、何年後かの僕の姿なのかな、と、読んでいて僕も淋しくなりました。いや、このお年寄りたちも、家に帰れば妻や子どもたちや孫たちに囲まれていて、自分の趣味の競馬に集中するために一人で競馬場に来ている、のならいいのですけど…それにしても、友人同士とかで来ている人がほとんどいないというのもね。まあ、ギャンブルは他人と一緒にやるものじゃない、のかもしれませんけど。
 僕は田舎暮らしなので、都会でのこういう「一人で食事をしているお年寄り」と見る機会はそんなにないのですが、それでも時々、牛丼屋などで酔っ払って店員の女の子に一生懸命話しかけているお年寄りの姿に、なんともいえない気分になることがあるのです。店員さんも大変だろうと思うけど、そんなふうに、店員さんに話しかけてしまうくらいの寂しさというのは、なんだかとてもせつなくて。正直、僕も今はそういう光景に対して「店員さんも迷惑してるし、いいかげんにしろよ…」とか思うのですが、本当に一人になってしまったら、僕だってそうしてしまうかもしれないな、という気もしてくるのです。誰だって、年をとれば一人になってしまう可能性はあるのだし、貧乏学生の「一人で定食屋」には寂しさとともに、これから始まる未来への希望があるけれど、お年寄りの場合は、その「一人」の次に来るものが「二人」だとは考えにくいものだし。
 もちろん、一人のほうが気楽な場合だって多いというのもわかるのですが。こういう「人が大勢いる中での孤独」というのは、自分の将来の姿かもしれないと思うと、なおさら、せつなくなる話ではありますよね。