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2005年12月30日(金)
口に入れたものすべてを写真に撮った男

「本の雑誌」(本の雑誌社)2006.1月号の鏡明さんの「連続的SF話・258〜365日目のシリアル」より。

【「everything i ate」は、先月、書いたと思うけど、タッカー・ショーというライター/ヤング・アダルト作家が、2004年の元旦から大晦日まで、365日、何を食べたか、食事だけではなく、間食からキャンディまで、すべてを写真に撮って、まとめた本。
 で、出版社に、出版をもちかけたときに、担当の編集者が「でも、それって、あまりにも個人的に、すぎるんじゃない?」と返事をする。タッカー・ショーの反応は、うーん、そりゃそうだ。たしかに個人的さ、でもさ、それで、何が悪い、何が悪いってんだ。これは、自分が、この人生でやった最も正直な作業なんだ!
 たしかに、そのとおりです。365日、すべてで、格好をつけるわけにはいかない。一応、食物のライターもやっているみたいだが、それでも、演出するわけにはいかない。とにかく、口に入れたものすべてを写真に撮る。それがルール。この「すべて」っていうのが、すごい。

(中略。1999年に出版されたという、こぐれひでこさんの「ごはん日誌」という本のことが書かれています。こちらのほうは、「すべてではないし、写真やその日の行動について、エッセイ風の短文がそえてある。つまり、ちゃんとした読み物になっている」そうです)

 タッカー・ショーの方は、データである。食べたものの名前と、場所、その場にいた人の名前が、書いてある。それだけ。だからこそ、すべての写真ということに意味がある。
 たとえば、2004年の1月1日。最初の日ね。写真は、3枚。午後2時34分。トウ・ブーツの冷たくなったピザ。ソーセージ&オニオン。次は午後8時47分。シリアル。家で。9時02分。トライアル・ミックス。家で。
 これだけ。おまえら、元旦なのに、しかも、この馬鹿げた企画の初日なのに、冷たいピザかじって、あと、シリアルで、終いなの?とまあ、言いたくなるほどの素気なさ。
 では、最後の12月31日は、というと、こちらは、なるほど、がんばってくれている。全部で11種類。朝9時50分ブリオッシュ。1時42分マッシュルーム・キッシュ。3時58分中華ちまき、以下時間他省略。ポークヌードル・スープ、小龍包、生クリームとキャビア、トリュフとマッシュルーム・スープ、ペッパーココナッツ・ソースのタラ・ステーキ、ホワイト・チョコレートとスフレ、で、最後の最後に何を食ったか。実は、もう真夜中を過ぎて、元旦に入っているんだけどね。2時36分。
 シリアルにミルクをかけて食っている。たしか、初日にもシリアルを食べていたわけで、リアリズムって、そういうことなんだ。

(中略)

 食物が、生きるための補給物資ということでも、楽しみのためでもなく、日常と、その記録になるということだと、言ってもいい。タッカー・ショー自身の言葉でも、「この写真を見直していると、そのとき、どこで、誰と、どんなことを話していたのか、みんな、思い出すことができた」ということになる。読者である私には、そんなところまではわからないが、それでも、タッカー・ショーの生活がわかるような気もするし、自分自身との対比を、無意識に行っているようにも思う。極めて、個人的な試みであるけれども、それが、コミュニケーションを拒否しているわけではない。かえって、そのことによって。共有できるものがあるように、思える。】

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 ネット上にも「食べたものを淡々と記録するよ」という有名サイトがあるのですが、確かに「食べたもの」と、そのときのイベントや生活パターンというのは、密接に関わりあっているんですよね。例えば、ここに引用されているタッカー・ショー(Tucker Shaw)さんの「食生活」の一部だけでも、けっこういろんなことを想像してしまいます。新年というイベントにはあまりこだわらない人なのかなあ、とか、キャンディまでというのは、けっこう几帳面な性格の人なんだろうなあ、とか。
 有名な美食家であるブリア・サバランという人に、「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間か当ててみせよう」という言葉があるのですが、確かに、「ヒルズ族」の若き社長たちの食べているものを見るとなんだか同じ位の年なのに、自分が日頃ラーメンとかカレーとかばっかり食べているのとくらべて、とても悲しくなってきます。
 それに、食べ物の好みとか食べかたって、ものすごくキャラクターがあらわれるのです。いつも同じようなものしか注文しない人がいれば、新メニューを見つけたら頼まずにいられない人もいるし、好き嫌いの有無というのも、なんとなくそれまでの人生を反映しているような気もしますし。
 僕は高校生くらいのころ、筒井康隆さんの日記で「中華料理店でカエルを食べた話」がごく普通に書かれていて、「ええっ、カエル!?」とびっくりしたことを今でも覚えています。「おいしいから」とカエルを平然と食べている筒井さんに、当時は「やっぱりこだわりのない、革命的な人は違うなあ!」なんて感心していたのですよね。僕も今ではカエルが中華の優秀な食材であることは知っていますけど、実際に食べるときには、「やっぱりカエルだしなあ…」とか考え込んでしまいそう。
 この、タッカー・ショーさんの場合には、いろいろ説明を書かずに、「本当に食べた物を全部記録している」というのが重要なポイントであり、そういう「純粋な事実」というのは、ある意味、言葉よりもよっぽど雄弁なのかもしれません。そして、そういう記録の対象としては、着ていた服とか読んだ本でもいいのかもしれませんが、やっぱり、「飾れない」という点では、食べ物ほど、その「記録対象」としてすぐれたものはなさそうです。
 「他人が何を食べているか」っていうのは、どうでもいいことなんだけど、すごく気になるんですよね。最初のデートのお誘いだって、大概、「どこかに食事にでも行きませんか?」だし。