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2005年12月20日(火) ■ |
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人生を変えた『キング・コング』 |
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「週刊SPA!2005.12/13号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々」第413回・ピーター・ジャクソン監督のインタビュー記事です。取材・文は、森山京子さん。
(映画『キング・コング』へのジャクソン監督のこだわりについて)
【インタビュアー:どのシーンからも完璧を期すあなたの情熱が観ていて伝わってきました。そこまで『キング・コング』のリメイクに入れ込んだのはどうしてなんですか。
ピーター・ジャクソン(以下PJ):僕の人生を決定した映画だからだよ。テレビでオリジナルの『キング・コング』を観たときのことは今でも覚えている。僕は9歳で、金曜日の夜だった。そこにはアドベンチャー、ロマンス、エモーション、すべてが揃っていた。僕は完璧にファンタジーの世界に連れていかれ、最後にコングが死んだときには泣いていた。そして、自分も映画監督になろうと思った。それからずーっと、『キング・コング』のような映画を作ることが、僕の夢だったんだ。
インタビュアー:オリジナルは何回くらい観たんですか。
PJ:多分、20〜30回は観てるだろうね。つい最近も、デジタル修整されたDVD版を見た。ティーンエイジャーのころは、小遣いをためて買った8ミリ映画版の『キング・コング』を見ていた。まだビデオがなかった時代で、とても高かったけどね。自分の部屋の壁にシーツをかけて、繰り返し観ていたんだ(笑)。
インタビュアー:12歳のころに、スーパー8で『キング・コング』を撮ったんですってね。スゴイですねぇ。
PJ:そうだよ。すべて手作り。コングの模型はワイヤーでフレームを作って、それをフォームラバーでくるんだ。そして母からいらなくなったキツネのストールをもらって、その毛皮をはがして貼りつけた。ニューヨークの街並みはシーツに描いて、エンパイアステートビルは段ボール製。紙で木を作って緑色に塗り、粘土製のブロントサウルスが葉っぱを食べているシーンも撮ったなぁ。あのキング・コングやエンパイアステートビルはまだ持っている。幸運のお守りとして編集ルームに置いてあるんだ。】
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ピーター・ジャクソン監督は、1961年にニュージーランドで生まれています。オリジナルの『キング・コング』が公開されたのは、1933年。ジャクソン監督よりひとまわりくらい下の年齢の僕からすれば、監督の『キング・コング』熱というのは、ちょっと不思議な感じがします。そのくらいの時代だったら、もっとこう技術的にスゴイかったり、カッコよかったりした映画があったんじゃなかろうか?と。でも、監督にとっては、とにかく『キング・コング』だったんですよね。 それにしても、このジャクソン監督の12歳のころのエピソードには驚かされました。いくら『キング・コング』好きでも、まだホームビデオも無かった時代に8ミリを使って、ここまでいろんなことにこだわって撮影するなんて、ちょっと信じがたい。この人には、本当に「映画監督の血」が流れているのだなあ、とか考えてしまいました。まあ、いくら小遣い貯めたとしても、それが許される、恵まれた環境にいたというのも事実なのでしょうが。 その一方で、「一流の映画監督になるような人は、ここまで『違う』ものなのか…」と僕はちょっと寂しい気持ちにもなったのです。ここまでの「才能」と「こだわり」が、映画監督として成功するのに必要であるならば、高校生くらいで映画監督を目指して勉強をはじめたような人は、到底ジャクソン監督に追いつくことはできないのではないか、と。 映画監督という仕事は、いろんな人の夢とか希望をブラックホールのように吸い込んで、ごく一部の人間にだけ大成功を、そして、多くの人間には落胆とか絶望をもたらしているのかもしれません。 『ロード・オブ・ザ・リング』で名声を得たジャクソン監督が、この『キング・コング』で受け取る「監督料」は、史上最高額の2000万ドルなのだとか。このジャクソン監督の人生もまた、ファンタジーだよなあ。
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