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2005年12月19日(月) ■ |
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作者の「気分転換」だった『こちら葛飾区亀有公園前派出所』 |
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「このマンガがすごい!2006年・オトコ版」より。
(来年(2006年)30周年を迎える『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者・秋元治さんのインタビュー記事の一部です。秋本さんが勤めていたタツノコプロを辞めて、マンガを描きはじめたころの話から。インタビュアーは奈良崎コロスケさん)
【インタビュアー:タツノコには何年勤めたんですか?
秋本:2年半くらいですね。
インタビュアー:辞めた当時でも20歳ソコソコ。
秋本:それからは自宅で戦争モノを描いていました。『そして死が残った』(のちに『平和への弾痕』と改題して刊行)って作品なんですけど。引きこもって描いているから世界にどんどん入っちゃって。気分転換に次は楽しい作品にしようと思って描いたのが『こち亀』なんです。
インタビュー:反動だったんですね。
秋本:そうです。振り子みたいにフラーッと。絵は劇画調のままギャクを描いて、ヤングジャンプ賞に応募したら、変わっているということで目にとまって入選して。
インタビュアー:じゃあ29年前に描いたベトナム戦争モノの反動だけで、ここまで来ちゃったようなものじゃないですか!
秋本:そのとおり(笑)。で、運よく読み切りが載って、連載することになったんですけど、とにかくすごい重圧で……。ギャグなんてほとんど描いたことがないし、中年が主人公っていうのもジャンプに合わないと思ったし、行き詰るのは目に見えていた。
インタビュアー:タイトルも長いし(笑)。
秋本:ハハハハ。表紙に入らないから迷惑だって言われて(笑)。あのタイトルも賞に応募するときに目立つように、わざと長くしたまでなんですけどね。
インタビュアー:そうやって、なかば見切り発車的に始めた連載に反響があったんですね。
秋本:どうせ10話で終わるって思っていたんですけど、編集長から「このまま続けたい」って言われて。さすがに続けられるのか悩みましたね。でも最初の担当さんが、「下町云々にこだわらず、どんどん広げていこうよ」って言ってくれて。それで中川も再登場させて、趣味のミリタリーとかクルマを出していくようになったんです。】
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来年で連載30年目を迎えるという『こち亀』こと、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』なのですが、記憶をたどっていくと、このマンガって、僕が小学校の頃友達の見よう見まねで読み始めた、二十数年前の「週刊少年ジャンプ」にも載っていたんですよね。もちろん、当時から連載が続いている週刊誌のマンガなんて、他にはありません。あの頃、小学生の僕にとっては、『キン肉マン』や『北斗の拳』『Dr.スランプ』などの人気漫画と同じ雑誌に載っていたこのマンガに、けっこう違和感を持っていたような気がします。なんだこの地味なマンガは…という感じで。 それが、今となっては、ジャンプを手に取ったときに「ああ、もう『こち亀』しか読めるマンガが無い…」なんて思うようになってしまいました。 このインタビューを読んでいると、両さんこと「両津勘吉」が生まれたのは、「ベトナム戦争モノなどの重いものばかり描いていた秋本さんの気分転換」だったそうなのです。まあ、その一方で、「目立つと思ってタイトルを長くした」なんて、「売れるために」計算されている部分もあったりするのですけど。 それにしても、秋本さんがここで仰っているように「ギャグなんてほとんど描いたことのないマンガ家が気分転換のつもりで描いた、中年が主人公のマンガ」が、まさかこんなに大ヒットして、長く連載が続くなんて不思議ですよね。「こんなマンガが子どもにウケるのか?」という疑問は当時の編集者にだってあったでしょうし。今となっては『こち亀』が載っているのが「週刊少年ジャンプ」なのですけどねえ。 いままで、「10週とか20週で打ち切られた、超大作のつもりのマンガ」をたくさん見てきた僕としては、こういう「描いているほうも10週のつもりだった」作品のほうが長く人気を博しているのは、ちょっと皮肉な気もするのです。でも、サイトのコンテンツなどにしても、意外とそういう作品のほうが人気になったりもするものなので、読み手にとっては、肩の力が抜けていて心地よい作品になるのかもしれません。 ところで、あらためて考えてみれば、「両さん」って、日本で最も有名な「オタクの先駆者」ですよね。
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