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2005年12月18日(日)
今は、観客が許さないんです。

「週刊SPA!2005.12/13号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・547」より。

【『トランス』が終わりました。キャンセル待ちをしながら、入れなかったお客さんがたくさんいらっしゃって、心痛みました。
 いつもなら「補助椅子」というヤツを出して、座ってもらうのですが、今回は一切の「補助椅子」が出せませんでした。
 劇場は、定員というのが決まっていて、消防法という法律では、それ以上の観客を入れることが禁止されています。
 といいながら、演劇を大切にする劇場・ホールでは、その法律は、しばしば破られます。
 と、ミもフタもないことを書いています。残念ながら、今回に関しては、こちらには、正当性はありません。
 法律は法律です。
 けれど、全国の演劇を大切にするホール・劇場は、補助椅子を出したり、通路に座布団でお客さんに座ってもらったりしています。
 劇団や演出家や制作者やお客さんと仲良くなった劇場・ホールのスタッフは、必死になって入場したいと何時間も前から並んでいる人たちを帰すのがしのびなくなるのです。
 最終日、楽日だけ、そういう観客を認めるという劇場・ホールもあります。
 ふだんは絶対にだめだけど、楽日だけは、お客さんを入れるのです。
 それは、いい意味での”日本的いいかげんさ”だと僕は思っています。建前と本音を、いい意味で使い分けている日本人の知恵だと感じるのです。
 みんなが法律違反しているけれど、演劇を見たいと熱望しているお客さんにだけは、特別に対応する。
 観客のことを一切考えないホール・劇場は、そういうことをしません。公立のホール・劇場は、特にしません。もちろん、公立だから消防法を厳守しようという姿勢があるのでしょう。けれど、民間の劇場はします。人情としてするのです。
 僕は初めて第三舞台の公演として、紀伊國屋ホールを使わせてもらった20年前は、通路に二枚ずつ座布団を敷いて観客に二列に座ってもらいました。
 まさに、場内、びっしりという感覚で、熱気に溢れた会場になりました。
 やがて、10年前くらいから、観客自体が通路に座ることを嫌がり始めました。
 代わりに、補助椅子という代用の椅子が登場しました。
 通路に座布団だと100人近くの人が入れましたが、補助椅子だと50人ほどになりました。
 法律で、通路は最低90cm開いていないといけないとなっています。椅子を置くと、50cmほどになります。歩くと、少しぶつかります。
 で、今回、この補助椅子が一切だめだと紀伊國屋ホールさんから言われたのです。

(中略:通路に椅子が置けなくなった理由を、鴻上さんは消防署の署長が代わって、取り締まりが厳しくなったのだと推測するのですが…)

「なんという署長ですか?」
 と、紀伊國屋ホールのスタッフさんに質問すると、「鴻上さん、そうじゃないんです」と、悲しそうな声が返ってきました。
「署長が代わったからじゃないんです。通路に補助椅子を出していて、観客から『危険だ』と何度も通報されたんです。通報されたら、消防署も動かざるをえなくて、何回目かの時に、『これ以上通報されるようなことがあったら、もう、こちらとしても考えがある』って言われたんです」
 と、衝撃的なことを教えてくれました。
「今は、観客が許さないんです。通路に椅子があると、地震が来たらどうするんだとか、火事になったらどうするんだ、なんで消防署はあんな劇場を取り締まらないんだって、すぐに電話するんです」
 スタッフは、ため息をつきました。
「観客が変わっちゃったんです。昔は、観客同士が、一人でも多くの人が芝居を見られるようにしようって思ってたはずなんです。だから、通路に人が座っていても、問題にしないどころか、かえって盛り上がったんです。でも、今はそうじゃないんです。自分が安全かどうかが問題なんです。他の観客が芝居を見られるかどうかは、問題じゃないんです。
 今回は、冒頭に書いたように、こっちにはまったくの正当性はありません。けれど、それを承知であえて書けば、通路は90cm以上という数字は、絶対に正しいのか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このあと、鴻上さんは、「問題は、通路の幅ではなくて、避難手順じゃないか」と書かれています。でもたぶん、鴻上さんが悲しんでいるのは、50cmとか90cmとかいう問題じゃなくて、「観客の質」の変化に対してなのではないか、と僕はこれを読んで感じました。
 鴻上さん自身も「強弁」と書かれているのですが、「余裕があったほうが、いざとなったときに安全性が高い」のは事実ではあるのですよね。もし火事とかで場内がパニックにでもなれば、その50cmと90cmの差で、命を落とす人だって出るかもしれません。
 でも、送り手として「観たい人がいてくれるなら、ひとりでも多くの観客に観てもらいたい」という鴻上さんや劇場スタッフの気持ちや「補助席でもいいから、舞台を観たい!」という演劇ファンの気持ちも、僕にはわかるのです。僕も舞台は好きですし、よほどメジャーなものでなければ、演劇というのは、公演終了後に観ることはできません。演劇というのは映画以上に、「観客としてその場にいること」に意義があるものだと思うのです。舞台演劇がビデオ化されたものをいくつか観たことがあるのですが、やっぱり、生の舞台の熱気や緊張感とは全然違うものだし。
 これは本当に難しいというか、立場によって答えが変わってくる問題だと思います。送り手や劇場スタッフからすれば、「ひとりでも多くの人に観てもらいたい」のは当然だし、チケットが取れなかった人にとっては、「通路でもいいから、なんとか観たい」はずです。でも、すでに自分の席がある人にとっては、「いざというときに、自分の安全が脅かされるようなのはイヤ」なのも当然です。上演時間なんて2〜3時間くらいのもので、その時間内にものすごい自然災害に遭遇する確率というのは非常に低いと考えて良いでしょうが、だからといってお客さんを一杯一杯に詰め込んでしまって、その「万が一」のことが起こってしまったら、どうしようもないし…

 ただ、少なくとも「自分がちょっと危険になってもいいから、他の人にも見せてあげよう。同じ演劇ファン同士なんだし」というような、「連帯感」が薄れてきているのは間違いないようですね。
 これって「演劇ファン」に限った話ではなさそうだよなあ。