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2005年12月10日(土) ■ |
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年賀状の1枚も寄こさない男 |
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「野村ノート」(野村克也著・小学館)より。
【監督をやった人はみな、選手が活躍したり成長すると、「誰のおかげだ」という。 親の心子知らずといわれるが、これはもうどの世界も同じだ。 ヤクルト、阪神と監督をやって、多くの選手が年賀状くらいはちゃんと寄こすが、古田からは年賀状も来ない。2000本安打を達成したときに古田がインタビューを受けているのをテレビで見たのだが、アナウンサーがもう無理やりそういうふうに言いなさいと仕向けているような質問をして初めて「野村さんに感謝しています」と答えていた。しかもただそのひと言だけ。いかにも無理やりいわされたという感じで、私はいい気持ちがしなかった。 感謝というのは大事なことだが、難しいものでもある。口に出していわないほうがいいのか、心の中で感謝していればいいのか。なかには口では何とでもいうが、心のなかでは舌を出している者もいる。ただ、黙ってたらわからない。短い言葉でも人を感激させ、感動させることができる。まさに「言葉は力なり」。言葉がなければ、何も伝わらない。 日本では年賀状や暑中見舞いといった風習がある。お中元やお歳暮を贈る風習もあるが、簡単な年賀状をもらうだけでも気持ちは通じる。しかし古田からはそれが一切ないから、正直彼が私のことをどう思っているのか私にはわからない。 私が育てたと自負する選手のなかでは、石井一からも年賀状1枚来ない。ただ彼の場合はわかる。年賀状だけで人を判断してはいけないかもしれないが、彼の性格とでもいうのだろうか、常識を心得ないところがあって、人と感覚が違うのだ。私にはそれがマナーの欠如と映ることもある。彼に対しては私の心のなかで「自分の教育が足りなかった」「試合で使いたいばかりに人間教育を怠った」という反省がある。結婚もしていることだから、奥さんが内助の功を発揮して夫の支えとなるべきである。 しかし古田に関しては、「教育した」という達成感があるだけに、なかなか納得できない。まあ彼に関しては、私も人間教育以外にも全身全霊をこめてあらゆる指導をし、超一流まで育てあげたという気持ちがあるため、求めるものが大きいのかもしれないが。】
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まさに年賀状準備シーズン。ほんとうに、ついこのあいだまで、「年賀状なんて、気が早いねえ」とか思っているうちに、今年も残り3週間になってしまいました。いただくのは大好きなのですが、自分が出すのはひたすらめんどくさくて、例年ギリギリにならないと準備を始めない僕も、そろそろ不安になってくる時期。ただ、不安になりはじめてから実際に手をつけるまでに、また時間がかかってしまい、結局は紅白歌合戦を観ながら年賀状を書き、初詣で投函、というパターンに陥りがちなのですけど。だいたい、あの年賀状という風習も、そろそろメールとかに切り替わっていくのではないか、と言われはじめて早何年か…実際は、やっぱり年賀状くらいは葉書で、と考える人のほうが、まだまだ大多数のようです。でも、あれって、僕にとっては、お正月にコタツでチラッと見て「あいつの子供も大きくなったなあ」なんて感慨にひたり、あとは1年後の翌年の年賀状のときに住所を確認するくらいのものなんだけどなあ…
この「野村ノート」という本には、智将・野村克也の野球理論が散りばめてあって、僕も目から鱗が落ちるような気持ちで読んでいたのですが、さすがにこの部分には、ちょっと絶句してしまいました。 あの古田選手も、けっこう冷たい人なのだなあ、と思ったのも事実ですが、いくらなんでも、こんなこと著書に堂々と書かれては、古田さんもたまらないと思います。公然と「アイツは恩知らずだ!」と誰もが認める「恩師」に批難されているわけですから。しかし、こうして読み手側に立ってみると、「年賀状の1枚も送ってこない」というのは、確かにものすごく恩知らずな人だというイメージを与えてしまうものなんですね。さすがに、年賀状の有無だけで「人間教育の失敗」とか言われてしまうのは、あんまりだと思うのだけど、あらためてそういわれてみると、「年賀状を送ってこない」という事だけで、「この二人には、なにか感情のしこりがあるのか?」と外野は考えてしまいます。野村さんと古田さんといえば、その師弟関係は誰もが知るところで、今の古田さんがいるのは野村さんのおかげだというのは周知の事実ですが、こんなことをわざわざ著書に書かずにいられないような人にいろいろとものを教わるというのは、古田さんにとっては、すごくストレスだっただろうな、と思います。芸能界でも、「売れたとたんに、昔から応援してくれたマネージャー役の妻を捨てて、若い芸能人と不倫」なんて話はよくありますし。その原因は、「恩知らず」なだけではなくて、いつまでも「私のおかげで」と言われ続けることへの反発もありそうですけどね。少なくとも、今の古田さんにとって、野村さんというのは「煙たい存在」ではありそうです。俺だって超一流プレイヤーになったのだから、と。 ほんと、野村さんがもうちょっととっつきやすい人だったら、野村さんのすばらしい野球への情熱と知識が、もっと多くの人に伝わっていたのだろうと思うのですが、世の中というのは、なかなかうまくいかないものですね。
さて、来年の元旦には、野村さんのもとに、古田さんからの年賀状が届くのでしょうか? こんな野村さんみたいな人もいるんだな、と思うと、たかが年賀状だと甘くみずに、とりあえずお世話になった人には出しておいたほうがよさそうですよね。「人間教育の失敗」とか、言われるのはさすがに悲しい。 しかし、そう考えてみると、たかが葉書一枚のことなのに、年賀状って、けっこう怖いものですね。
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