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2005年11月11日(金)
編集者泣かせの「漫画の神様」

「お笑い 男の星座2〜私情最強編」(浅草キッド著・文藝春秋)より。

(「序章」で紹介されていた、漫画家・手塚治虫先生のエピソード。担当編集者との会話の一部です。)

【「じゃあ、聞くけど、出版社が乱発する屁タレント本のどこが、俺たちの『男の星座』より面白いのか、ちゃんと説明してくれ!」

「そんな、編集者泣かせの手塚治虫先生じゃないんですから、勘弁してくださいよぉ!」

「確かに、かつて手塚治虫は、梶原一騎の『巨人の星』を見て、アシスタントや編集者に、こう怒鳴り散らしたよ、『このマンガのどこが俺のマンガより面白いのか。分かる奴は説明してくれ!』と」

「しかしですねぇ、結局、手塚治虫先生でさえも最終的には、作品にスポ根テイストなんかも取り入れて、見事スランプから脱出して立ち直ったわけですから、キッドさんも、他のタレントさんの本なんかも見習ってですね……」】

〜〜〜〜〜〜〜

 巨匠・手塚治虫先生の「低迷期」のエピソード。いまでは、現役のマンガ家時代はずっと「偉大な人気マンガ家」だったと思われがちな手塚先生ですが、実際は、「劇画」の時代になってくると、「もう古い、終わったマンガ家」という目でみられていたこともあったようです。まあ、そこから「ブラックジャック」や「ブッダ」などで再び蘇ってくるところが、「巨匠」たる所以なわけですが。
 それにしても、このエピソードは、業界内では「天皇」なんて呼ばれていた「偉大すぎる作家」の秘められた一面を映し出していますよね。手塚治虫というマンガ家は、本当にマンガ・アニメーションという文化に大きな功績を残した、唯一無二の人なのですが、その一方で、天才の宿命として、周りの多くの人を犠牲にしてしまったこともあったようです。
 あの宮崎駿監督は、手塚治虫逝去の報に対して、その偉大な功績をしのびながらも、「あの人のやり方は、間違っていたところもあったのではないか」とコメントされたそうです。少なくとも、「アニメーション」という世界を「好きな人間がやるのだから、食べていけないのもしょうがない」という業界にしてしまったのは、確かに、手塚先生の「罪」なのかもしれません。いや、御本人は、ただ、自分の理想につきすすんでいっただけなのだと思うけれども。
 今の僕からすれば、一世を風靡したものの、あまり現在では顧みられることのない「巨人の星」というマンガと、いまでも新しい読者に読み継がれている「火の鳥」や「ブラックジャック」を比較すれば、歴史の評価としては「手塚作品のほうが面白い」(というか、普遍性がある)のだと思うのです。でも、当時の「時代の空気」というやつは、どんなに多くのマンガに接してきたアシスタントや編集者でも、「言葉にする」のは難しかったのではないでしょうか。そもそも、「天皇」に、「ここがあなたのマンガより面白い」なんて言えるはずもないだろうし。当り散らされる周囲の人々は、たいへんだったはずです。
 実際は、当り散らしながらも、ちゃんと「研究」していたというのが手塚先生のすごいところでもあるのですが、「巨匠」と付きあうのは、なかなか辛いことも多いようです。それでも、人を惹きつけてやまないのが、「天才」なのかもしれませんけど。