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2005年11月10日(木)
スナフキンの言葉「子どもみたいになる大人たち」

「ダ・ヴィンチ」2005.12月号の特集記事「スナフキンにさよなら。」の「スナフキン名言集」より。

(『ムーミン』のなかでも、とくに人気が高い、永遠の旅人・スナフキンのことばを集めたものの一部です。)

【君たちも大人になればわかるさ。ある意味で、大人は、子どもよりもっと子どもみたいになることがあるんだよ。

         『新ムーミン』第10話「署長さんがいなくなる」


 事件も事故も起きない平和なムーミン谷の生活に、警察署長としてのやりがいをなくし、自分は谷に必要がない人間だと嘆くヘムル。谷を出るという彼の憂鬱に感染したムーミンパパ(無職・小説家志望)とヘムレンさん(趣味は昆虫採集)も、リュックを背負って家出してしまう。みんなを必死で引き止めようとするムーミンたちの陰から、「大事件を扱うだけが、警察官の仕事ではないはずです。ヘムルさん、困っている村の人の頼みを聞いてやるのも立派な仕事ですよ。十分に価値のある生き甲斐ですよ」とスナフキン。その言葉に打たれたヘムルはムーミンパパとヘムレンさんを説得、3人で堂々とムーミン谷の平穏を生きていく決意をする。出ていくと言ったり一生出ていかないと言ったり、大人って分からないなぁと不思議顔のムーミンにスナフキンが投げかけた一言が、これ。「君たちも大人になればわかるさ」という言葉からは、自分が大人であると認識していることが分かる。でも、「子どもよりもっと子どもみたいになることがある」と気付き、それを子どもたちにこんなふうに教えられる大人はなかなかいない。スナフキンは、子どもでも大人でもない、特別な領域を生きているのかもしれない。】

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 カッコいいですよね、スナフキン。僕も子ども心に憧れたものです。それにしても、この「ダ・ヴィンチ」の特集を読んでみると、もっとのどかで平和でメルヘンチックだったようなイメージがあった「ムーミン」の世界は、けっこう「大人向け」だったのだなあ、とあらためて知りました。
 僕も自分が大人としか言いようのない年齢になってようやくわかったのですが、大人というのは、必ずしも「子どもがイメージしているような、頼りがいがあって、分別や理性を持っている存在」ではないようなのです。
 僕自身に関しても、むしろ、中学とか高校のときのほうが、「そんな子どもじみたことをしてはいけない!」という、強迫観念的なプライドを持って生きていたような気がします。ネットの世界をみても、「世界」とか「人生」に関して大上段に立ち向かっているのはむしろ「子ども」が多くて、「大人」のほうは、自分の日常に追われている人が多いような印象があるのです。子どもというのは、自分の理想のために何かをガマンすることができるし、実際に堕落しようとしてもそのためのお金や力がなくてできない、という場合もありますしね。
 それに比べたら、大人のほうが、「子どもじみた行為」をやりやすいのは確かなのです。例えば、お菓子のオマケを集めるための「大人買い」なんていうのは、子どもにとってはやりたくてもできないことでしょうし、不倫なんていうのも、子ども時代に「不倫は文化だ」なんて考える人は、ほとんどいないと思います。「そんなバカバカしい、人の道に反する行為」と考えていたものを、実際にやってしまうのが「大人」なわけです。どうせ、この先の人生にもあんまり面白いことはなさそうだし、とりあえず今が楽しければいいや、とか。
 子どもっていうのはむしろ「大人っぽさ」を指向し、大人というのは、ときどき、とんでもなく「子どもっぽく」なってしまうことがあるのです。

 それにしても、この話、僕も身につまされました。やっぱり、「風邪の人しか来ないような田舎の病院」よりも、「難病の人や救急車がひっきりなしにやってくる大病院」をみんな指向しがちだし、そういう「起伏がある」ほうが偉いと考えてしまいがちだから。正直なところ、この「スナフキンの説得」くらいで、「やりばのない向上心」みたいなものがずっと抑えられるとも、思えないんですけどねえ。
 で、忙しいところに行ってしまってから、平和なムーミン谷が懐かしくてしかたなくなる、と。ああ、大人っていうのは、本当に子どもっぽい!