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2005年11月06日(日)
「将棋プロ編入試験」が生み出す「残酷な希望」

読売新聞の記事より。

【61年ぶりに将棋界の重い扉を開いたのは35歳の会社員だった――。1944年以来の実施となった将棋プロの編入試験。アマ強豪で会社員の瀬川晶司さん(35)が6日、六番勝負で3勝目をあげ、プロ棋士四段の資格を獲得した。
 午後5時51分、対戦相手の高野秀行五段が投了を告げると、将棋の取材では異例ともいえる29社の取材陣が一斉に対局室になだれ込んだ。目を真っ赤にした瀬川さんは「まだ(プロ入りの)実感がわかない。勝ててうれしいです」と話すのがやっと。
 2勝2敗で臨んだ第5局。後手番となった瀬川さんが、得意の「中座飛車」戦法を採用。飛車角が飛び交う空中戦となり、形勢が二転三転した。慎重な棋風の瀬川さんは5局連続して秒読み将棋に追い込まれながらも、最終盤は的確な指し手を続け、プロの座を手中にした。
 終局後、記者会見した瀬川さんは、「今まではプロ試験にいつも追われている気持ちだったのでほっとした。温泉にでも行ってのんびりしたい」と話した。
 一方敗れた高野五段は「プロとしての責任を感じるが、精いっぱい指したので悔いはない」ときっぱり語った。
 将棋連盟に棋士の兼業を禁止する規定はないが、瀬川さんは現在勤務している会社を退職して将棋に専念することになりそうだ。
 試験規定によって、瀬川さんは名人戦の予選を除く9つの公式戦に参加できるが、今後10年間のうちに規定の成績を上げないと公式戦の参加資格を失う。】

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 瀬川さんは、14歳から26歳まで、唯一のプロ棋士養成機関である「奨励会」に所属してプロ棋士を目指していましたが、結局、夢破れてプロ棋士には届かず、大学の二部(夜間)を卒業し、30歳でコンピューター関連会社に就職されました。奨励会退会後は、アマチュアとして数々の大会で活躍し、プロ棋士との交流戦で17勝7敗という驚異的な戦績を残し、自ら将棋連盟に「挑戦状」を送り、今回、ついにプロへの門戸をこじ開けたのです。
 今までのプロ棋士の世界の「鉄の掟」を破る、この「特例措置」は、非常に大きな話題となりました。
 将棋連盟の米長邦雄会長は、「瀬川さんが買っても負けても、これだけ話題になれば、将棋連盟としては『勝ち』だな」と仰ったそうですが。
 そもそも、奨励会自体が、いわゆる「将棋エリート」の世界なのですけど、その会員のなかで、実際にプロになれるのは2割くらいなのだそうです。要するに、残りの8割は、26歳(あるいは、もっと若くして諦める人も多いのでしょうが)という若さで、プロへの道のりを絶たれてしまいます。なかには、今回の瀬川さんのような「晩成型」の成長過程をたどる人も少なくないでしょうから、考えてみれば、「26歳」という年齢制限というのは、理不尽極まりないような気がします。この話題を取り上げたニュースなどでも、そういう論調が多かったようですし。
 ただ、将棋連盟としては、今回の措置はあくまでも「特例」であり、今後「門戸開放」を積極的にしていくつもりはない、とコメントしています。いや、将棋界そのものの全体のパイはたぶん一定のものなのでしょうから、プロ棋士の数が増えすぎるというのは、或る意味、既得権益の低下につながり、「プロが多くなりすぎれば、食いっぱぐれる者も出てくる可能性がある」のですから、それは致し方ないことなのかもしれません。
 僕は今回の瀬川さんの「偉業」に大きな拍手を送りたいのですが、その一方で、この「偉業」は今後、たくさんの「悲劇」を生み出すのではないかという気もしているのです。
 今まで「プロ棋士」になるためには、「奨励会」経由でなければなりませんでしたし、26歳という年齢制限が大きな関門となっていました。しかし、今回のことを契機に「自由化」が広がっていくと、「可能性が残る」一方で、「可能性を捨てきれない」人が増えてしまうのではないかと思うのです。「26歳」というのは残酷な年齢制限のようですが、逆に、「26歳の若さなら、まだ、人生の方向転換ができる」という面もあるのですよね。若くしてプロ棋士への道が絶たれるのはものすごく辛いことでしょう。でも、ずっとその可能性にしがみついてしまって、プロにもなれず、諦めることもできない、宙ぶらりんの人生を送ってしまうことと、「無理やり諦めさせられること」のどちらが残酷かと考えると、僕は正直、「可能性が残されてしまうことのほうが、かえって残酷なこともあるのではないか?」と感じます。たぶん、瀬川さんのような「晩成型」の棋士は少なくないと思うのだけど、実際にそれが制度化されてしまえば、その「晩成型の才能」を拾い上げるために、多くの「自分を晩成型だと信じてしまう人」の屍の山をつくってしまうのではないか、と。
 将棋の世界は、「プロになれなくても将棋で食べていける」ようなものではないですし……野球などとは違って、「年齢の壁」みたいなものが比較的無さそうなイメージがあるのも、かえって「諦め切れない人」を増やしてしまいそう。
 「希望」というのは、もしかしたら、より深い絶望を連れてくるのかもしれません。光によって、闇の深さが際立ってしまうように。「夢を追って生きる幸せ」は、「夢を捨てきれない不幸」と背中合わせなのです。