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2005年11月05日(土) ■ |
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「思想の人」野村監督と「行動の人」星野監督 |
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「野村ノート」(野村克也著・小学館)より。
【星野政権2年目に優勝したとき、用事があってオーナーに面会を求めたこおとがあった。ひととおり用件が終えたあと、 「やっぱりよかったですね。星野で正解でしたね」というと、こんなことをいわれた。 「野村くんと星野くんには決定的な違いがある。野村くんは詰めが甘いよ」 私は「4番を獲ってくれ」「エースを獲ってくれ」と言うだけで、実際に誰を獲ってほしいのかもいわなければ、FA交渉に積極的に乗り出して選手を口説いたり、長嶋監督のように選手の家まで出向いて口説き落とすことなどしなかった。いや、できなかった。 オーナーに「今の制度下でチームを強化するにはお金がいるんですよ」といいながら、「いくら出してほしい」「そのためには何億円いります」などといったことがない。 外国人もせいぜいビデオを見るぐらいで、阪神監督の1年目などは、なぜなのかいまだに理由がわからないが、当時の球団社長や編成部長は獲得候補選手の名前さえ教えてくれなかった。私が知ることで何か不都合でもあるのか不満に思ったが、それでも監督権限で無理やり話させるようなことはしなかった。そういったことは監督の仕事ではなく、フロントの仕事だと思っていたのだ。 だが星野監督は違う。金本を自ら口説き、そしてフロントに伊良部を獲らせ、自身の持つパイプでトレイ・ムーアら外国人を獲得し、さらにコーチ、選手などチームの3分の1近くを入れ替えた。私が指揮を執っていた阪神とはまったく別ものといってもいい阪神タイガースをつくりあげた。 私が補強するために口を出したのは、赤星、藤本、沖原ら新人選手、それもドラフトの下位で獲れる選手ぐらいしかいない。 野村は詰めが甘い。考えてみれば久万前オーナーの言葉は的を射ている。】
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名将・野村克也監督が、自身の阪神監督時代のことと後任の星野監督について書いた文章の一部です。ちなみに、野村監督が3年で阪神の監督を辞任した際に、星野監督を後任に勧めたのは野村さん自身だったそうです。 この本を読むと、野村さんという人は、野球というスポーツを本当にさまざまな角度から分析して、技術的・心理的に「どうすればより勝てる可能性が高くなるのか?」を追求していたということがよくわかります。ただ、ここで引用した文章には、野村さんの弱点が、赤裸々に明かされているのです。 「思想の人」である野村さんには、一種の「甘さ」というか「優しさ」というのがあって、例えば選手を獲得するのはフロントの仕事だということで、自分が直接手をくだすものではないと考えていたり、「お金が要る」ということがわかっていても、その事実をオーナーに伝えるだけで、具体的な要求はされていなかったのだそうです。 いや、御本人は「甘さ」と仰っておられますが、僕は、これって、野村さんの「照れ」なのかなあ、とも思うのですけど。 天性の「野球理論家」である野村さんは、きっと、自分の「監督」としての才能に対する自信と周囲のスタッフのプライドなどを考えてしまい、なんとなく「この戦力でも、自分なら、なんとなかるんじゃないか」と思ってしまいがちだったのかもしれません。「勝ちたい」と口にしながら、「そんなにしゃかりきになって『勝ちにいく』姿をみせる」ということが、恥ずかしいという気持ちがあったのではないでしょうか。どうすれば勝てるかがわかっていたはずなのに、結局、野村さんがやったことを基盤にして「実際に勝ってみせた」のは、「行動の人」である、星野監督だったのです。 星野監督のやったことは、本質的には「監督としての越権行為」だと言えなくもありません。「与えられた戦力で、いい結果を残すのが監督」だというのが野村さんの「監督観」であるとするならば、自分で動いて「戦力」そのものを直接アップすることによって結果を残すのが、星野流だったというわけです。ただし、この方法というのは、一時的には劇的な効果を示すことはあっても、周りのスタッフのレベルアップが難しく(だって、自分の仕事を奪われてしまうわけですから)、長期的にはマイナスになってしまうかもしれません。もちろん、あの時期の阪神というチームには、星野監督という「劇薬」は、うってつけの存在だったわけなのですが。
この「野村ノート」を読んでいると、その理論の素晴らしさに感動すると同時に、人間というのは、うまくいかないものだなあ、と思うのです。もし、野村さんがあんなに愚痴っぽくてイヤミったらしくない人で、この素晴らしい理論を爽やかに多くの選手に説くことができていれば、とか、もし、「照れ」を捨てて、星野さんのように自分の「職責」を飛び越えてチームの編成にまで口出しできていれば、とか、つい考えてしまいます。 そんなことは、たぶん、野村さん自身が、いちばんよくわかっているんでしょうけど、やっぱり、「わかっていてもできない」ものなのでしょうけれど。
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