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2005年10月21日(金) ■ |
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最高に真摯な「離婚の原因」 |
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「ダメな人のための名言集」(唐沢俊一著・幻冬社文庫)より。
【嫌いだから別れたんだ。
〜つかこうへいさんが、離婚したとき理由を問われて】
(以下は、この言葉についての唐沢さんのコメントの一部です。)
【「お互い良い関係を保とうと思って」 「それぞれの自由を尊重して」 「彼(彼女)の才能を束縛したくなかった」 などなど、離婚会見での自己正当化のコメントは数あるが、こういうのは全部ウソ八百のきれいごとである。そう思ったら最初から結婚などしなければいいのである。結婚とは相手の自由を制限して自分とのみつきあって欲しいと一方が望み、一方がそれを承諾した結果であり、夫婦になるとはそれぞれが一部分ずつ、自分の自由を犠牲にして、相手の生活に合わせることである。それは束縛であり不自由であるが、その障害を乗り越えるのが、愛情の存在であるはずだ。 それぞれの自由を尊重しようとか、束縛をしないというのは、二人の関係に愛情がなくなったからなのであり、 「まだ彼(彼女)を愛しています」 というのは矛盾なのである。そういう意味で、つかこうへいのこのコメントは、離婚の原因を問われてこれ以上の真摯な答はないと思わせるものであった。】
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このあと、唐沢さんは【もちろん、これは韜晦であって、インタビュアーはその嫌いになるに至った要因を質問したわけなのだが…】と続けています。確かに「嫌いになったから(あるいは、好きじゃなくなったから)別れた」というのは、「言うまでもないこと」なのでしょうけど、それにしても、芸能人の離婚報告などは、あまりに「粉飾決済」という感じがしますよね。まあ、そういうところにこだわるのも、芸能人の宿命なのかもしれませんし、観衆は、その「演技」を楽しみにしているという面があるのも否定できませんが。 しかし、僕の周囲の人々の話を聞いていると、結婚することと結婚生活を送ることというのは、100メートル走とマラソンくらいの違いがあるのではないか、という気もします。多くの人が「好きだから結婚した」はずなのに、その愛情というのがいつまで続くかというのは、やってみないとわからないのです。嫌いになろうと思って結婚する人は、いないはず。 「お互いに良い関係を保とうと思って」別れるなんていうのは、要するに「身近なところにいると、いざこざが絶えない」ということです。「大勢のなかのひとりの異性」としての評価と「パートナー」としての現実は、しばしば異なるのですよね。「つきあいのいい男」は、「家で待っている人のことは考えない夫」だったり、「金銭感覚がしっかりした女性」は、「ケチな妻」だったりするからなあ。 とはいえ、「嫌いになったから別れた」というよりは、「お互いのために…」くらいのことを言っておいたほうが、お互いの今後のためにはよさそうな気はします。「別れたパートナーに『嫌い』と言われた人」も「別れたパートナーを『嫌い』と言った人」も、第三者的には、「人間関係に容赦のない人」という印象になってしまうから。
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