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2005年09月16日(金)
江口寿史さんが、初めて「落とした」日

「マンガの道〜私はなぜマンガ家になったのか」(ロッキング・オン)より。

(漫画家・江口寿史さんの回の一部です。語り手は江口さん御本人。)

【初めて落としたのは、『ひばりくん!』連載中……半年くらい経った頃かな。その時は、作画の面で煮詰まっちゃって。どうしても1週間じゃ描けなかった。休みも取れないし、キツいなあと思ってて。何ヶ月かに一遍休ましてくれとか、隔週にしてとか、言ってたんですよ。でも、その頃そういう作家なんていないんで……今、いっぱいいるじゃないですか。その頃はとんでもなかったんですよ、そういうこと言うのがね。
 当時の編集長が西村さんっていう非常に癖のある人で、「そういう作家は使うな」ってことになってたらしくて。「江口はもういい」ってことになってたらしいです、あの人の本読むとね(笑)。俺は好きだったんですけどね、ああいうタイプの人。でも、編集長にはもう見限られてたみたいだね。その頃、『ひばりくん!』はすごい人気はあったんだけど、「制作の面で苦労かける作家はもう要らん!」ていうふうになっていったんですよ。その頃は、もう『北斗の拳』とか『CAT'S EYE』とか、いろいろ出てきてたし。で、部数は相変わらず伸びてるし。まあ、江口は描けばアンケートは上位にいくけど、たまに載ってなかったりして雑誌の信用にかかわるほうが大きい、というふうになっちゃって。
 だから、自分でも……もう『ジャンプ』の中に居場所ないかなとか思い始めてたんです。その頃、大友克洋さんだとかがすごいマイペースで仕事してた時期で、いろんな雑誌で描いて、単行本なんかも装丁に凝った大きい判型のものを出したり、そういうスタンスにすごい憧れ出して。だから週刊で四苦八苦して描くよりも、そういうふうな作家になりたいなあとかいう感じになってきて、それでだんだん『ジャンプ』に対して熱がなくなっていったんですね。

 ……それで、3年目に『ひばりくん』の次を描かずに逃げちゃったんですよ(笑)。これ1回だけですよ? ほんとに逃げたのは(笑)。毎週火曜日が締切だったんですけど、月曜の夜にバックレて、ホテルに潜伏してた。それで次の日、明らかにこう、すべてが終わった時刻になって家に帰ったのね。……学校サボってた高校ん時思い出したけどね(笑)。 そしたら編集長から電話が来て、「どういうつもりだお前、ちょっと顔出せ!」とか言われてね。で、呼び出されて行ったら、「隔週で描きたいとか、もうそういう作家は要らないから、自分で勝手にやれ!」とか言われて(笑)。それっきりです、『ジャンプ』は(笑)。訣別ですね。
 でも、『ジャンプ』を離れた時は、後悔はなくて、解放感のほうが大きかったね。もう毎週描かなくていいっていう。なんか、会社辞めたサラリーマンみたいな(笑)。】

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 江口さんといえば、「描かない漫画家」として有名なのですが、このインタビューによると、「ほんとに逃げたのは1回だけ」なのだそうです。それにしても、漫画家、とくに週刊の連載を持っている漫画家というのは、本当にハードな仕事だよなあ、とあらためて考えさせられます。
 『ストップ! ひばりくん』が「週刊少年ジャンプ」に連載されていたのは、1981年から1983年。ちょうど僕が「ジャンプ」を読み始めた時期になります。当時は「Dr.スランプ」や「キン肉マン」の人気が出てきて、「北斗の拳」も始まり、まさにジャンプの「黄金時代」であり、まだ小学生だった僕には、『ひばりくん』は、「なんだかよく分からないマンガ」だったような記憶があります。その「黄金時代」の裏側には、こういう「秘史」があったのですね。
 確かに、人気漫画家だった江口さんと『ひばりくん』を「切る」ことができたのは、当時のジャンプの連載マンガの層が厚くて、『ひばりくん』がなくても土台が揺るがない、という自信が、西村編集長にはあったのでしょうし。
 こういうのは、漫画家サイドからみれば「狭量な管理者からの抑圧」なのでしょうが、何百万部も発行されている巨大雑誌の発行側とすれば、「信用」を維持するためには、仕方のない「改革」なのかもしれません。少なくとも、江口さんの連載が終わって、印刷会社の人は、ちょっとホッとしたことでしょう。
 「常識にとらわれない人」にだって(むしろ、そういう人のほうが)、面白いマンガを描く才能は宿っているのに、「常識的なふるまい」ができないと切り捨てられるというのは、ちょっと寂しい気もしますけどね。
 考えてみれば、あれだけの「絵」を毎週、一年間休みなく描き続けるというのは、ものすごい労力がいることです。『マカロニほうれん荘』を描かれた鴨川つばめさんがインタビューで言われていたのですが、「常に『新しいこと』を要求されるギャグマンガ、そしてギャグマンガ家というのは、ストーリーマンガ(とその作家)よりも、はるかに消耗が激しい」そうなのです。吾妻ひでおさんなんて、本当に「失踪」してしまったのだし。
 それにしても、あれだけ「落とす作家」として有名な江口さんでも、「ほんとに無連絡で落とした」のは、一回きりだったとは。読む側としては、「作家急病のため」という「おことわり」を読むたびに、残念に思いつつも、その「急病」の裏にある「秘密」を勘繰ったりしていたものなんですけどねえ。
 最近では、「取材のため」とかいって、休みをとるのが週刊マンガ雑誌の「常識」になってきて、多少は労働条件は改善されているみたいです。これも、「先人」である、江口さんと、編集者の苦労から生まれた「進歩」なのかもしれません。それは、それでも求められるくらいの才能がある人限定の「特権」だったとしても。