|
|
2005年09月13日(火) ■ |
|
『スーパーマリオブラザーズ』生誕20周年! |
|
「週刊ファミ通」(エンターブレイン)2005年9月16日号より。
(「SOFTWARE IMPRESSION」の「ファミコンミニ スーパーマリオブラザース」のレビューより(世界三大三代川・著))
【2005年9月13日。『スーパーマリオブラザーズ』が生誕20周年を迎える。これは、ただ20周年を迎えることがめでたいのではない。このゲームが20年間(毎年ではなくとも)遊ばれたことがすごいのであり、めでたいのだと思う。ファミコンから始まり、スーパーファミコン、ゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンスと、リメイク、移植を続け、そのたびに僕も遊んできた。さらに、たまにファミコンを引っ張り出して遊んだりもした。今度はゲームボーイミクロで遊ぶだろう。そのあとはレボリューションで遊ぶだろう。そのまえに、またファミコンを引っ張り出すかもしれない。僕は10年後にも『スーパーマリオブラザース』を遊び続ける。これは予想じゃない、確信だ。そのとき、さらにヘタになった自分に苦笑いしているかもしれない。もうクリアーできなくなっているかもしれない。たとえそれでも、マリオになりきり、楽しみながら遊んでいることを願う。どれだけプレイしたとしても、このゲームは変わらず気持ちいいはず。20周年なんてまだまだ。マリオは僕をゲームの世界に引きずり込んだ張本人なんだから、もっと一緒に過ごしてもらいたい。 とりあえず20周年のいまは、ニンテンドーDSで発売される新作『ニュースーパーマリオブラザーズ(仮題)』の発売を待ちながら、ゲームボーイミクロで遊ぼうと思う。】
〜〜〜〜〜〜〜
「スーパーマリオ」20周年。僕が最初にこのゲームで遊んでから、もう20年もの月日が経ってしまったんですね。本当に、時間が経つのって早いなあ。 20年前のあの日(とはいっても、発売日に買ったのかどうかは、よく覚えてないんですけどね)、「スーパーマリオ」が家にやってきた日のことを、僕は今でもよく覚えています。当時は今みたいに、注目ゲームは発売前から大きな宣伝が行われるような時代ではなくて、あの「マリオブラザーズ」の続編だからという理由だけで、僕はこのゲームを買いました。期待半分、不安半分で。 でも、このゲームは、「予想をはるかに超えて」楽しかったのです。あのポヨーンという絶妙のジャンプの間、軽快なサウンド、魅力的なキャラクター。 そして、僕を驚かせたのは、「背景」あるいは「障害物」だと思っていた土管の中に入れて、そこがボーナスステージになっていたことでした。今までこういうゲームをやっていて、「ここに入れたらいいなあ」というようなところに、ちゃんと「仕掛け」が作られているという凄さだったのです。 いや、当時の僕には、「スーパーマリオ」は、けっして簡単なゲームではなかったのだけれど、それでも、しばらくの間、うちのファミコンには「スーパーマリオ」がささりっぱなしでした。そういえば、ウチの親がやっているのも目撃したことがありました。僕も、弟も、そして姉や妹も、みんなこのゲームをやっていたのです。まあ、妹はいきなり最初に出てくるノコノコに激突してみたり、「あっ、そこはボーナスステージだったのに…」と弟が口を挟んできたりと、みんなそれぞれ、自分のペースで、このゲームで楽しんでいたんですよね。 考えてみたら、「スーパーマリオブラザーズ」は、この20年間で、もっとも多くの人が触れたゲームのひとつであり、また、それ以上に、僕のような30代〜40代の大人から、今の小学生まで連綿と繋がっている「共通の文化」なんですよね。そして、その「繋がり」は、海外にも広がっている。音楽の世界にも、映画の世界にも、また、そのほかのエンターテインメントの世界にも、20年間愛され続けている「スーパーマリオ」に匹敵する「文化」は、類がないと思うのです。 たぶんこれからも「スーパーマリオブラザーズ」は、いろいろな機種で、いろいろな場所で、みんなに遊ばれ続けるに違いありません。そりゃ、若者たちには「古くさい」とか言われちゃうかもしれないけれど。 まあ、なにはともあれ、20歳の誕生日おめでとう、スーパーマリオ。そして、これからもよろしく。「スーパーマリオなんて、知らない!」って言われるのは、僕もちょっと、辛いからさ。
|
|