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2005年09月06日(火)
『Shall we ダンス?』と「分かりやすい映画」

「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」(周防正行著・文春文庫)より。

【僕にとっては初めての経験だった。日本でも何度も試写に立ち合ってはいるが、その結果によって自分の映画の内容が変えられるなどという試写の経験はない。どちらかといえば客の反応を見て、どう宣伝していくかという宣伝部の問題だったり、観たお客さんの口コミを期待してのものだったり、試写そのものを宣伝にするというイベント性の強いものだったりした。アンケートを取ることもあったが、それは僕にとって完成した映画がどう観客に伝わったかを知る、あくまでも結果なのであって、映画作りの過程ではなかった。
 だからこそ、こんなに嫌な試写はない。初めてアメリカのお客さんが観る場所に自分がいて、その反応を目の前で確認するのである。そして反応が悪ければ、どうやったら「売れる映画」になるかをアメリカのスタッフと相談しなければならないのだ。監督にとってこんな酷いことはない。日本公開のオリジナルバージョンは自分の中でこれ以上はない、という形に仕上がっているのである。別にアメリカ人のために作った映画でもない。僕の頭の中にあった観客は、少なくとも自分の母であり(誰にでも楽しんでもらえるものにしようと思った時には、母を想定することにしている。自分の母親に分かるということ、つまり昭和一桁生まれの専業主婦に分かるということが僕にとってもっとも具体的な「分かりやすい映画」なのである)、映画のスタッフ一人一人であった。その結果、日本ではとても多くの人の共感を得て、今だロングランを続けている最中なのだ。それを今さら、ああでもない、こうでもない、といじられるのは御免蒙りたい。
 しかし、外国でのことでもあり、逆に彼らがこの映画を観て何をどう感じるのか、それを知ることは作り手としてとても楽しみだったのも事実だ。
 果たして『Shall we ダンス?』はアメリカで受け入れられるのだろうか。】

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 結果的に、『Shall we ダンス?』は、アメリカでも大ヒットしたのですが、この「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」という本の中で描かれている日本とアメリカの映画産業のギャップには、いろいろ考えさせられました。「外国語映画は、とにかく2時間以内じゃないと、誰も観に来ない」なんていうのが「常識」だというのだから。
 僕などは、上映時間が長いほうが、なんとなく「得した気分」になってしまうんですけどねえ。
 それはさておき、この周防監督の文章の中で、僕がいちばん印象に残ったところは、監督がこの映画を「自分の母親(つまり昭和一桁生まれの専業主婦、と書かれています)に分かるように」イメージしていた、というところでした。
 映画というのは、とくに商業映画であれば、より多くの観客を呼ばなければなりませんから、僕はもっと広い範囲での「観客」を想定しているものだと思っていたのです。例えば「若い女性」とか「子供」とか、そういう感じの。もちろん、そういうマーケティングをやっている映画も多いのでしょうけど、周防監督という人は、「自分にとって顔が見えて、感性もわかっている、身近な人々」をイメージしながら、この「若者から高齢者まで非常に幅広い層の(そして、国境すら越えて)愛された映画」を撮ったのですね。
 これを読んで考えたのは、よりたくさんの人に理解されようという発想で
「みんなに分かるもの」を作ろうとするのは、かえって「誰にもわからないもの」を作ってしまう可能性が高いのではないか、ということでした。
 「みんな」っていうけど、「みんな」なんていう人は、この世にはいないわけです。それよりは、自分にとって顔の見える相手にわかるように、伝わるようにしていくほうが、結果的には、多くの人に届くのかもしれません。それはたぶん、WEBの文章でも、同じことなのでしょう。まあ、「自分の母親に分かるようなものなら、大多数の日本人にはわかるだろう」なんていうのは、当のお母さんにしてみれば「感性を信用されているのか、バカにされているのか微妙なところなのかもしれませんが。
 本当に「みんなに伝えたいこと」ほど、まず、自分にとって大切な「誰か」に伝わるかどうかを考えてみるというのは、ものすごく意味があることだと思います。