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2005年09月02日(金) ■ |
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戦慄の「タイタニック女」!! |
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「九州ウォーカー・2005 No.19」のコラム「シネマ居酒屋」(Key教授)より。
(このコラムの「主」であるkey教授と助手のひろみさん、OLのキクチさんのやりとりの一部です。)
【Key:「お前たち、DVDというものをわかってないな」
キクチ:「特典映像の話ですか」
Key:「ちがう、ちがう。もっと基本的なことだ。いいか。”DVDはあくまでも記録物であり、映画は鑑賞物である”ということだ。つまり、ゴッホの絵を見たのは本物(鑑賞)か写真(記録)かということだ。どれくらいの大きさで、どんなタッチで、実際はどんな色かなんてのは記録じゃわからんということだ」
ひろみ:「観る行為の問題ですか」
Key:「そう。つまり観に行くという行為そのものが”映画”として存在するということだ。例えば、誰と観たかってのは、結構重要なファクターだろ。私の知り合いで”タイタニック女”というのがいたぞ。そいつは20回以上『タイタニック』を観てるんだが、全部一緒に観た男が違うんだ。男と付き合いだすと、まず『タイタニック』を観るんだ」
キクチ:「『タイタニック』ってどのくらい上映してたんですか?
Key:「まる1年だ」
キクチ:「ということは、1年で20人の男と付き合ったってことですか」
Key:「20人以上だ」
ひろみ・キクチ:「デッ!」
Key:「彼女いわく、最も映画を観た1年だったそうだ」
キクチ:「そういう問題ですか」
Key:「まぁ、鑑賞物だからこそのエピソードだな。これは極端な例だが、実際はお前たちだって、昔観た映画を改めて観た時、”一緒に観た人”や”どこで観た””その時何してた”なんてのが思い浮かんだりするだろう」
ひろみ・キクチ:「確かに」
Key:「それが映画だ。ひろみ君に『スター・ウォーズ』最終章は泣けたのかと聞かれたが、泣けたんだよ。しかし、単純にストーリーがなんて話じゃなく、あれは28年間の歴史だ。多くの人が待ったものだ。私の友人にもいるが、事故や病気など様々な要因で観届けられなかった人がいる。運命とはいえ、そんな人々の思いもこもったのがあの映画だ。28年もの長い時間のなかの出会いと別れ、出来事を越えて、ついに最後まで観ることができた幸せを純粋に感じるものだったよ」】
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いくら『タイタニック』が良い映画で、3時間を超える上映時間があって、1年間も上映され続けていたとしても、映画館で20回以上も観たというのは、ちょっと信じられない話です。ここまで来たら、「タイタニックをいろんな男と観た記録」にチャレンジするために、いろんな男性と付き合っていたのではないか、とすら思えてくるのですが。 でも、ここに書かれているように、「誰かと映画を観る」というのは、本当に特別な体験になることがありますよね。自分ひとりで観る映画というのも良いものなのでしょうが(僕はどうも「ひとりで映画館に入る」という行為そのものがなんとなく気恥ずかしくて、なかなかひとりで映画を観に行くことはないので)、誰かと一緒に観に行くことによって、副次的な「映画にまつわる思い出」というのも増えていくのです。冷静であまり物事に動じないと思っていた人がベタベタな恋愛映画で号泣していたり、日頃は穏やかな人が、意外と「好戦的」であるということがわかったり。 ひょっとしたら、この「タイタニック女」にとって、『タイタニック』という作品は、相手の男を知るための試験紙みたいなものだったのではないでしょうか。彼女自身は『タイタニック』に飽き飽きしているにもかかわらず、相手の男のこの映画に対する反応を観察していたのかもしれません。 僕の場合は、『タイタニック』に感動したのは事実なのですが、それはデュカプリオの献身にではなくて、人間の歴史の中に、あんな辛い目にあった人たちがたくさんいたのか…という「歴史的悲劇に対する感傷」だったんですけどね。
ところで、最後の「スター・ウォーズ・エピソード3〜シスの復讐」なのですが、僕もエンディングのスタッフロールを観ながら、目頭が熱くなってきたのです。まさに、このKey教授と同じ理由で。「シスの復讐」は、確かに単体としてもすばらしく面白い映画ではあるのですが、「感動して泣いてしまう」ようなストーリーではないはずです。けっして、ハッピーエンドではないですし。でも、なんだかね、流れていく最後のスタッフロールをボンヤリと観て、ジョン・ウイリアムスのテーマ曲を聴いていたら、いろんなことを思い出してしまったんですよ。とくに、「この映画を観届けることができなかった人々」のことを。そして、いずれは僕も何かの作品に対して「観届けられなかった人」の仲間入りをすることになるのだな、という予感……
たぶん、『スター・ウォーズ』の歴史は、僕たちの歴史でもあり、その「完結」は、ひとつの「区切り」だったのです。
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