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2005年07月09日(土)
iPodが生んだ、新しい「消費生活」

「週刊ファミ通(エンターブレイン)・2005年7月1日号のコラム『桜井政博のゲームについて思うこと』より。

【最近、と言っても2年ぐらい前からかもしれませんが、昔買ったCDを聴く機会が明らかに増えているわたしです。

(中略)

 昔の曲をよく聴くようになった理由は、なんと言ってもiPodとiTunes。iPodはアップル社が出しているポータブルプレイヤー。iTunesは音楽をパソコンに格納し、iPodに転送するための整理ソフト。そのままプレイヤーとしても使えるので、重宝します。
 iPodひとつあれば、わたしが持っているCDは余裕で全部入るのでした。だいたい3000曲以上になりますが、それでも容量は5分の1ほどしか使っていないという。仮に処分したCDをみんな入れたとしても、余裕しゃくしゃく。
 音質にこだわる人にはもっと別の選択肢もあるのかもしれませんが、わたしはこれぐらいでいいや。iPodをクルマに持ちこむことで、車内のBGMも充実しました。
 そのうち、一生分の音楽を連れて歩くことができるようになる。これはあらゆる意味で、スゴく画期的なことですよね。しかし音楽を作ることを生業とする人は、そりゃあタイヘンだろうなぁと思いますよ。なにしろ、過去の蓄積がみーんなライバルになる!!一度に聴ける曲は1曲ですからね。
 それに対抗するためなのか、いまの日本のポップスのセオリーを見たとき、ものすごく消費に特化したものであることを感じます。1曲の中で、印象的なフレーズをひたすらくり返す。めちゃめちゃくり返すわけです。お店にBGMとして流れているものなら、たいていスグに覚えられるわけです。買ってみようかと思わせられるし。が、あまりに何度もくり返すので、いざ購入して聴いてみると飽きるのも早いという。ソフトは消費されるものだから、商品のありかたとして決して間違いではないのだろうと感じてもいますけどね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んで、確かに僕もそうだなあ、と思いました。iPodを買ってから、せっかく容量が空いているのだからと、古いCDを押し入れの中から引っ張りだして、片っ端から詰め込んでいったので。
 「シャッフルモード」で聴いていると、そうやって入れた「旧い曲」も、新しい曲と全然変わらないのですよね、実際のところ。
 いままで「旧い曲」と「新しい曲」を隔てていたのは、その「質の差」というより、入手しやすさとか、いつのまにか押入れのなかにしまいこんでしまっていたりとか、そういう「違い」だけだったのかもしれません。まあ、そんなふうに考えてしまうのは、僕自身がどんどん新しいものを受け入れていけるほど若くなくなってしまったから、という可能性もあるのですが。
 そして、このペースで高容量化が進んでいけば【一生分の音楽を連れて歩くことができるようになる】ようになるのも、そんなに遠い日のことではないはずです。
 僕が子供のころ、今から20年前くらいには、「遊ぶゲームがない」とか「観たいテレビが無い」という状況は頻繁に起こったものです。しかしながら、今の世の中では、遊ぼうと思えば安い価格で入手できる面白いゲームはたくさんあるし、古今東西の名作映画やTV番組を簡単に買ったり、レンタルしたりすることができるのです。残念ながら、それを消費するための時間というのが、なかなか無いのだけど。
 今までは「面白くて、長く遊べるゲーム」というのが重宝されてきたのですが、これからは、「短時間で遊べて、面白いゲーム」のほうが評価される時代になるのではないかと僕は考えています。iPodを使っていて思うのは、「容量を埋めていく」という行為そのものが、けっこう楽しい、ということだったりするので、もはや、音楽やゲームは「聴く」ことや「遊ぶ」ことが目的なのではなくて、コレクションするものなのかもしれません。

 たぶんこれからも、「消費されるための作品」が、どんどん作られていくことになるのでしょうし、ユーザーにとっても、「聴きもしない曲をメモリに貯めこんでいくこと」が、快楽になっていくのでしょうね。
 作る側からすれば、そうやって回転が早くなったほうが儲かるというのも事実なんだろうけど……