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2005年07月11日(月)
人生経験が豊かな人というのは、基本的に嘘である。

「僕の夢 君の思考」(森博嗣著・PHP文庫)より。

(森さんが書かれた作品の中から印象に残るフレーズを編集者が抜き出し、そのフレーズに森さん自身がコメントを付けられたものです。)

【どうして変化に対して人は臆病になるのだろうか、と考える。そんなことを考える自分を自覚して驚く。きっと、失敗したとき元どおりに戻れない、という心配(あるいは予測)があるからだろう。結局のところ、失敗の大きさをどう見積もるか、にすべての判断が帰着するように思える。しかし、人はどんなときでも後戻りはできないのだから、永遠に真の答など得られない。〜『恋恋蓮歩の演習』(88頁)

このフレーズに対する、森さん自身のコメント
 経験できるのは、僅かに自分の人生一回だけだ。他人の人生も、自分の別の人生も、無理。人生経験が豊かな人というのは、基本的に嘘である。

〜〜〜〜〜〜〜

 僕の印象に残ったのは、この引用されたフレーズよりも、斜線にした森さん自身のこのフレーズに対するコメントのほうでした。このコメントには、僕がずっと感じ続けてきた「人生経験」という概念への違和感が、うまく表されていたような気がしたので。
 例えば、僕たちが「人生経験が豊富」というふうに誰かを評するとき、その人は、「(良くも悪くも)多種多様な状況を体験してきた人」という意味なのだと思います。この「人生」という言葉を「恋愛」に置き換えると話は、わかりやすくなると思うのですが、「恋愛経験豊富な人」というのは、どちらかといえば、「誰か一人を愛し続けた人」というよりは、「いろんな相手とくっついたり別れたりした人」のことですよね。
 そして、えてして「恋愛の悩みは、『恋愛経験豊富な人』に相談すればいいよ」というような話になるのです。
 でも、実際のところ、それって本当なのでしょうか?

 こう言ってはなんですが、「恋愛経験豊富な人」というのは、ある意味「浮気性」であり、「ひとりの相手と長続きしない人」なわけです。アドバイスを求められても「恋愛って自由なものだしぃ」とか、無責任なことしか言わなかったり、「私のときは、彼はこうだった」とか、「オンナってそんなもんだよ」とかいうような、自分の経験に基づいた、偏ったことしか言わなかったりもします。そりゃあね、ロールプレイングゲームだって、たくさんの敵と闘ったほうが経験値が多く入るのが一般的でしょうが、スライムを何百匹も倒すよりは、ドラゴンを一匹倒すほうが、はるかに高い経験値が得られたりもするわけです。
 「人生経験」にしても、「さまざまな転職を繰り返し」ているような人が、必ずしも「経験値が高い」とは限らないと思いませんか?
 例えば、ずっとひとつの企業に勤め上げた人、職人として一生を終えた人などは、逆に「転職したい」とか「この仕事を辞めたい」というような誘惑とずっと闘う「経験」をしてきているとも言えるはずです。本当に必要なのは、そういう「自分を踏みとどまらせた経験」だという人だって、いるのではないでしょうか。
 50年一緒に生活している夫婦にだって、他者からはうかがい知れないような、さまざまな「障害」があったのでしょうし、そこでなんとか続けてきた経験というのが、自分の感情の赴くままに相手をとっかえひっかえして稼いだ「経験」に、劣っているとは僕は思えないのです。
 何かをするのが「経験」なら、あえて何もしないのも「経験」なのではないでしょうか。同じだけ生きていれば、みんなそれぞれの「人生経験」を持っているし、その価値というのは、見た目の華やかさだけでは、到底測れないもののはずです。「人生経験」に「豊か」とか「乏しい」っていうのは、基本的にはないような気が僕にはするのです。それは、「ただ、そこにあるもの」で。

 ただ、知ったかぶりが上手いかどうか、それだけの話。