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2005年05月13日(金)
記者の「暴言」は、「使命感」や「熱心さ」から生まれるのですね。

毎日新聞の記事より。

【読売新聞は13日、JR福知山線脱線事故のJR西日本の記者会見の席で、同社大阪本社の記者に不穏当・不適切な発言があり「明らかに記者のモラルを逸脱した」として、社会部長名でおわびを掲載した。読売新聞によると、記者は会見に出席したJR幹部に対し「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒げ、感情的発言をしたとしている。
 会見は5月4日から5日未明にかけて、社員がボウリング大会や懇親会に参加していた経緯の説明がテーマだった。会見で罵声を浴びせる記者の姿が、テレビや週刊誌で取り上げられたため、苦情が寄せられたという。
 谷高志・大阪本社社会部長名で出された談話には「使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日ごろの指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです」としている。
 “罵声記者会見”をめぐっては、テレビ、ラジオ、産経新聞などが取り上げていた。週刊新潮5月19日号は「『記者会見で罵声』を浴びせた『ヒゲの傲慢記者』の社名」として掲載し、読売新聞の記者と伝えていた。】

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 あの「罵声」に、不快な思いをした人は、けっして少なくはなかったようです。もちろん僕もそのひとりで、あまりの罵詈雑言と傲慢な態度に、あの状況では言い返すこともできないであろうJR西日本の幹部たちに、ちょっと同情すらしてしまいました。それこそ、「サンドバック状態」だったのだから。内容はさておき、あんなふうに「弱いものイジメ」をやっている姿に好感を抱く人は少ないでしょう。あの記者に「お前自身は、何も失ってなんかいないし、むしろ大ニュースで喜んでいるんじゃないのか!」と罵倒してやりたくもなってきたのです。
 いくら一連の報道でJR西日本の問題点が明らかになっていたとはいえ、僕たちの意識の中には、「自分が被害者になるかもしれない」という憤りとともに、「自分も企業(あるいは共同体)の一員として、「糾弾される側」に立たされるかもしれない」という不安もありますしね。

 でも、僕はちょっと疑問なのです。
 何が疑問なのかというと、あの記者は、本当に「使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いた」のだろうか?ということに。
 もともとああいう人なのかもしれませんが、僕には彼の言動は、「煽っている」ようにしか見えませんでした。「使命感」とか「熱心さ」というような、「純粋な動機」だとは、思えなかったんですよね。
 あくまでも僕が受けた印象なのですが、彼のあの異常な言動というのは、「わざと酷いことをJRの幹部たちに浴びせて、無難かつ杓子定規な受け答えをしているJRの幹部たちから、『感情的な言葉』や『本音』や『失言』を引き出そうとしている」ように思えました。
 カメラマンは、被写体をわざと怒らせて「自然な表情」を撮ろうとするような、そんな「テクニック」のつもりで、本人はやっていたような気がしたのです。だって、あの記者は、「心の底から怒っている」というより、「単にJRの幹部たちをバカにしている」ような感じだったし。僕はてっきり、総会屋が紛れ込んでいるのかと思いましたよ。
 実際のところ、それが「高等テクニック」であろうがなかろうが、観ていて不快なものであったのは間違いないし、彼自身が、あの記者会見場での「絶対的強者」としての自分の立場に酔っていただけなのかもしれないのですけど。

 それにしても、「使命感や熱心さで、常に心がけるべき冷静さを欠いてしまう人」と「使命感も熱心さもないけれど、スクープを引き出したいという自分の野心とか売名のために、他人を容赦なく罵倒できる人」とでは、どちらが悪質なんでしょうね。
 そして、あの「記者会見」を観て残る印象の最大のものが、あの「罵倒」に関するものだというのは、「記者」というのは、いったいどういう存在なのだろう?と考えられられてしまうのです。