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2005年05月08日(日) ■ |
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『噂の真相』の表紙と「更新報告」 |
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「『噂の真相』25年戦記」(岡留安則著・集英社新書)より。
(「噂の真相」の創刊から1年間表紙を手がけていたイラストレーターの山口三男氏のイラストに「下品だった」という批判があったことに関して)
【それは、宣伝費が使えない小資本で始めた雑誌だけに、書店の店頭で「あれっ、これは何の雑誌だ」という感じでも、いかに多くの読者が手にとってくれるかが勝負だと考えたからである。とにかく内容には自信があったので、店頭で一度手にしてくれれば、大成功だと考えて描いてもらった表紙うイラストなのである。特に、創刊号の女性のスカートが風で捲れ上がっているイラストは泥臭くても下品、女性差別といわれても、「人はこれをスキャンダル雑誌という」なるサブタイトルと、のぞくというヒューマン・インタレスト雑誌のコンセプトをストレートに表現したつもりなのである。いくらセンスがある格調高い表紙でも、店頭で読者が手にしてくれないと意味がない、そう考えた結果だった。その狙いはある程度成功したものの、書店の中にはエロ系雑誌のコーナーに置くところもあり、これには苦笑せざるを得なかった。】
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先日廃刊された雑誌「噂の真相」の名物編集長であった、岡留安則さんが、その歴史を振り返って書かれた本の一節です。 「噂の真相」が創刊されたのは1979年ですから、僕は雑誌の初期の頃は全く記憶にない(というか、当時はそんな雑誌があることすら知らなかった)のですが、要するに「表紙だけなら、エロ系雑誌のコーナーに置かれても違和感がないもの」だったようです。 僕は子供の頃から本屋が大好きだったのですが、本屋で雑誌を見ていて疑問に思うことがひとつありました。 それは、「けっこうエッチな表紙の雑誌とか、『セックス特集』なんて大きく表紙に書いてある雑誌があるけど、ああいうのって、読者が恥ずかしくて買えないから、売れなくなるのではないだろうか?」ということです。 もちろん、最初からそれを目的とした「エロ系雑誌」が、扇情的な表紙なのは当然ではあるのでしょうが、ごく普通の雑誌(とくに女性誌は凄かった)だと、レジに持って行くのが恥ずかしくなるんじゃないかなあ、と。 そういえば、僕がずっと買っていたパソコン雑誌も、たまに「美少女ゲーム特集」とかのときは「下品な表紙」になっていて、買うのが恥ずかしかったのをよく覚えています。 どうせなら、中身だけにしといてくれればいいのに、とか。
まあ、【のぞくというヒューマン・インタレスト雑誌のコンセプトをストレートに表現したつもりなのである】という岡留さんの言葉が、どこまで洒落で、どこまで本気なのかはよくわかりませんが、なんといっても「とにかく『何だこの雑誌は』と思わせ、手にとってもらう」というのが最大の目的だったことは間違いないでしょう。考えてみれば、通りかかった100人が全員不快感を抱かないかわりに、誰の心にも引っかからない表紙であるよりも、100人のうち90人が「下品な表紙…」と白眼視したとしても、残りの10人が「どんな雑誌なんだろう?」と手にとってくれたほうが、雑誌を売るという観点からは、はるかに効果的なんですよね。とくに、固定読者を持たない新興勢力の場合は、そういう「インパクト」というのは、すごく大事なのでしょう。
ところで、これって、ひょっとしたらサイトのタイトルや「更新報告」にも言えることなのかもしれません。正直、僕などは「何だそのいかにもエッチ系っぽいタイトルは?どうせ『○○が脱いだ!』とか書いてあるのに、全然脱いでない週刊誌のグラビアみたいな内容なんだろう?」なんて思うことが(そして、その通りの結果であることが)多いのですけど、まずは「読んでもらわなければ、はじまらない」のですから、そういう営業戦略というのも、ときには必要なのでしょうね。
それでも、「噂の真相」のように、「中身に自信がある」場合はいいんですが、「タイトルだけディープインパクト」なのがあんまり続くと、今度は「絶対このサイトだけは、観てやるもんか!」なんて逆ギレしてみたりもするんですけどね。そういうのも、意識している分だけ負け、なのかな……
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