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2005年05月09日(月) ■ |
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日本とドイツの「戦争責任」と「戦後処理」 |
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産経新聞の記事より。
【民主党の菅直人元代表は八日午前のフジテレビの「報道2001」で、日中間の歴史認識問題に関連し、「日本自身がやったことを日本人がどう判断するかが問われている」と指摘したうえで「日本自身が、日本の負ける戦争をやった責任を何一つ問わなかった。天皇陛下は退位されたほうがよかった」と、終戦時に昭和天皇が退位することで戦争責任を明確にすべきだったとの考えを示した。 菅氏はその理由として「明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いていたから(昭和天皇に)直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。一つのけじめを政治的にも象徴的にもつけるべきだった」と語った。】
読売新聞の記事より。
【第2次大戦の欧州戦終結から満60年を迎えた8日、敗戦国のドイツでも、ナチス支配の終焉(しゅうえん)を祝い、戦後の歩みを振り返るさまざまな催しが行われた。 ケーラー大統領は連邦議会での記念演説で、「ナチス・ドイツが世界にもたらした苦悩を記憶にとどめ、責任を負うことに終わりはない」と国民を戒める一方、ドイツが60年の間に名実ともに変貌したことを強調、「今や、わが国を誇る理由は十分ある」と述べた。 終戦記念演説では、「過去に目をつむる者は未来にも盲目となる」と語ったワイツゼッカー元大統領の戦後40周年演説が知られるが、ケーラー大統領はその「反省」路線から一歩踏み出し、ドイツ人としての「自信」を取り戻せと国民に訴えた。 ベルリンではこの日、終戦を「(ナチス支配からの)解放」ととらえる政府や国民の多数派に反発し、極右の国家民主党(NPD)が3000人規模の糾弾集会を実施したが、左翼系市民約6000人の反対デモに遭い、予定していたデモ行進をあきらめて解散した。】
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菅さんがなんでこんなことをいまさら言い出したのか理解に苦しむのですが…
下に引用した、ドイツ降伏60周年式典は、ニュースや新聞でも大々的に取り上げられていて、僕はその光景に違和感を感じていました。 「どうして、ドイツ人は、自分たちが負けた戦争を『式典』にして、戦勝国と一緒に祝えるのだろう?」と。 でも、さまざまな資料をみていると、多くの現代ドイツ人は、この「敗戦」を「ナチスからの解放」ととらえているようなのです。もちろん、不穏な動きを続けるネオナチは、今も存在しているのですが。 しかしながら、考えてみてください、「ナチスのせい」「悪の独裁者、アアドルフ・ヒトラー」という文脈で語られる第二次大戦前のドイツですが、ナチスが政権を握ったのは選挙の結果ですし、ナチスの一員として戦争をやったり、ユダヤ人に対する「民族浄化」という暴挙を行ったのは、宇宙からの侵略者でも、地の底から湧いてきた魔物でもなく、よき父親、よき息子だった、ごく普通のドイツ人たちでした。「ドイツの戦後処理」に関して、日本の戦後処理と比較される機会は多いのですが、僕はつい、「ドイツ人は、『ナチスのせい』にして、ズルイよなあ」なんて考えてしまいます。もちろん、個々のドイツ人は「罪の意識」を抱え続けているのでしょうけど…
それに比べて、日本人は、「誰のせいにもできない戦後処理」を続けてきました。それは、ある意味では日本人の潔さでもありますし、「天皇」という存在が、それだけ特別だったということなのでしょう。「軍部が悪い」と言いながらも、多くの日本人は、「誰かのせい」にしようとはせず、自分たち個々の責任だと考えています。一市民は、大きな存在に「戦え」と言われれば銃を取る以外の選択肢はないだろうし、そうして誰かに銃を向けるのが「罪」であるかどうかは難しいところです。それでも、日本人は、誰かのせいにはしなかったのです。
僕も天皇は、あのとき退位すべきだったと思います。「責任はない」というのはいくらなんでも、(名目上であっても)国家元首としては「詭弁」だと思うから。 でも、今になって、60年間日本人が「誰のせいにもできなかったこと」を「天皇は責任をとるべきだった」なんて言い出すのも、ちょっとどうかなあ、と考えてしまうのです。 【日本自身が、日本の負ける戦争をやった責任を何一つ問わなかった。】 菅さんはこうおっしゃったそうですが、戦後の日本人はみんな、心の中で、「あんな戦争をしてしまった理由」をずっと自問自答し続けてきたのではないかなあ、と僕は思っています。 本当は、アメリカにも「原爆なんて非人道的な兵器を使って多くの非戦闘員を虐殺した罪」を問うてもらうべきではないかなあ……
果たして、誰かのせいにすることが「戦争責任のとりかた」なのでしょうか?
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