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2005年04月25日(月) ■ |
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小説家残酷物語 |
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「文学外への飛翔」(筒井康隆著・小学館文庫)より。
【いつもながら、難しい仕事をひとつ終えるとほっとする。だが、また次の難儀な仕事が待っている。だが、これを「しんどい」と思ってはいかんのである。「ありがたいことだ」と思わねばならない、と、自分に言い聞かせている。通常おれの年齢になれば、定年退職して五年目である。多くの人は身体壮健のままで仕事がなく、暇をもてあましているに違いない。それどころか、もっと早くからリストラの余波で首になり、仕事を見つけることができなくて生活に困っている人も多い筈なのだ。それに比べて「忙しくてしんどい」とは、なんとしあわせなことかと思うべきなのであろう。 もし小説だけ書き続けていたとしても、最近は読者が減って小説が読まれなくなり、本も売れなくなっていて、おれの文庫本も滅多に再版されなくなってしまったから、やはり以前の収入を維持するのは難しかった筈である。聞くところでは誰でも名前を知っている老大家が、なんと生活保護を受けているというではないか。多くの作家が作家としての体面を保てなくなっているらしい。実際、小説だけで生活しているほかの作家たちはどうしているんだろうと思う。 演技の勉強をしていて本当によかったと思うのは、そうした話を聞かされた時だ。まったく、「芸は身を助ける」とは、よく言ったものである。】
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半分は筒井さんの自慢話みたいに聞こえなくもないこの文章なのですが、実際の役者・筒井康隆への世間的な評価というのは、いったいどうなのでしょうか?まあ、僕は筒井さんの大ファンなので、「元気な姿が観られるだけでも嬉しい」のですけど。
この文章のなかで、僕がいちばん驚かされたのは【誰でも名前を知っている老大家が、なんと生活保護を受けている】というところだったのです。 もちろん、必要な人が生活保護を受けることそのものは、違法でも異常でもない、当然の権利なのですが、そんなふうに「誰でも名前を知っている」クラスの大家であれば、いくらなんでも「印税で一生食えるのではないか?」と思いますよね。でも、現実の「作家の生活」というのは、そんなに甘くはないみたいです。 あの「セカチュー」こと「世界の中心で、愛をさけぶ」は大ベストセラーになって、作者の片山恭一さんは、3億円以上の印税(一般的な印税の額は、本の定価の10%書ける発行部数)を得ましたが、考えてみれば「世紀の大ベストセラー」ですら、「その程度の金額」と言えなくもありません。同じくらいの年俸をもらっている野球選手は何人もいるわけだし、「セカチュー」も、毎年こんなに売れ続けるはずもありませんから。それでも、3億あれば、まあ、当面は食べるのには困りそうにはないですけど。 もちろん、長者番付に毎年載りつづけている赤川次郎さんや西村京太郎さんのようなヒットメーカーもいるのですが、純文学志向の人などは、かなり金銭的には厳しいはず。1500円の本が1万部売れたとして、収入は150万円。金額だけみれば、そんなに悪くないような気がしますが、寡作な作家の場合は、年間2冊ずつ出版したとして、年収300万円。これはけっこう厳しいように思えます。雑誌に連載でも持っている直木賞作家クラスなら、対談とか講演とかの副収入もあるのでしょうが、そういう「客を呼べるクラスの作家」は、そんなに多数派ではないはずです。 筒井さんがここに書かれている内容からすると、「流行作家」として大ベストセラーを連発していた時代と、現在のように「寡作で、以前ほど本は売れなくなったけど、ちょこちょこテレビや舞台に役者として(それも、必ずしも主役級ばかりではなく)出演している状態」では、収入のレベルはそんなに変わらない、ということみたいですから、作家というのは、金銭的にはワリに合わない職業なのでしょうね。 そもそも、僕は「1万部売れたとして」と書きましたが、1万部も売れる純文学作品というのは、実際は稀有な存在でもあるのです。 「文章を書く仕事」は、「プロに行けなかった野球サイボーグ」よりは、ツブシがきくかもしれませんが、売れない作家の生活というのは厳しいし、この老大家のように、名前が売れてしまうと、仕事を選ばざるをえない、という場合もあるのでしょう。 作家になるのは難しい。でも、作家として生きていくのは、もっと難しいのかもしれません。好きなこと書いてお金が貰えるいい商売なんて、傍からみると思ったりもするのだけれどねえ……
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