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2005年04月24日(日) ■ |
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松嶋菜々子さんの「色気の秘訣」 |
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「an・an」No.1460(マガジンハウス)のインタビュー記事「松嶋菜々子の知的セクシーのススメ。」より。
【菜々子さんに質問します。色気を身につける秘訣は?
インタビュアー:外見で気をつけることは?
松嶋:身だしなみはやっぱり大切。私は、幼い頃から父に「おしゃれは足元から」と言われていたので、今でも靴はきれいに履くように心がけています。また、TPOをわきまえつつ、そこに自分の個性を加えて着崩せるようになるといいなと思います。】
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そもそも、「an・an」なんていう女性ファッション誌を僕が手にとってみたのは、「あっ、松嶋菜々子が出てる!」というような、不純な動機だったわけなのですが、実際に読んでみると、この雑誌に出てくる人たちは、みんな外見的な「おしゃれの秘訣」を語っているというよりは、「哲学」を語っているのでちょっと驚きました。そういえば、「Number」(文藝春秋)などのスポーツ雑誌も、そういう傾向がありますよね。 どちらかというと、僕の中では、松嶋さんというのは「セクシー」というよりは「清純派」なイメージなんですが、この両者が対立する概念なのかどうかすら、僕にはよくわからないんだよなあ。
さて、ここに挙げたのは、松嶋さんのインタビューの一部なのですが、僕はこれを読んで、水商売の女性が「男のリッチさを知るには、時計と靴を見る」という伝説を思い出しました。なんでも、服はちょっとムリすれば良い物を誂えることはできるけれど、本当にお金がないと、時計とか靴にまでは手が回らないから、なのだとか。もっとも、今の時代は、時計や靴レベルまでは、みんな抜かりはないような気もします。 それにしても、この「靴をきれいに履く」という言葉、なかなか興味深く思えるのです。逆に、「靴を汚く履く」というのは、踵を踏んでいたりとか、靴紐をちゃんと結んでいなかったりとかいうことなのかな、というイメージが湧くのですが、「普通に履く」と「きれいに履く」の違いというのは、果たしてあるのだろうか?とか。「神は細部に宿る」なんて言いますし、足の先にまで気配りをするくらいの心構えでないと、真の「おしゃれ」とは言えない、ということなのかなあ。僕の場合は、「靴なんて、とりあえず履いていればいい」という感じなので、ものすごく反省してしまいました。でも、「きれいに履く」という感覚は、正直よくわからないのです。 ああ、「おしゃれ」って、奥が深いのですねえ……
しかし、この松嶋さんのコメントをよく読むと「おしゃれは足元から」って教えてくれたのは、松嶋さんの「お父さん」なのですね。ちょっとびっくり。 やっぱり、父親がおしゃれじゃないと、娘もおしゃれにはならない、ということなのかなあ。 こういうことには、親とはいえ、異性の視点というのは影響が大きいのかもしれませんね。
ごめんよ、僕の娘……(まだいないけど)
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