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2005年03月08日(火) ■ |
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『ふたり酒』って、本当に楽しい? |
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読売新聞の記事より。
【妻や夫を亡くし、寂しい思いをしている独り暮らしのお年寄りを元気づけようと、長野県泰阜(やすおか)村は、村職員が村内のお年寄りの家を訪ねたり、村役場の食堂に招いたりして晩酌の相手になるボランティアを今夏からスタートさせる。 8日、村議会で松島貞治村長が明らかにした。酒やつまみはお年寄りと職員が割り勘で用意し、残業手当などは出さない「ゼロ予算」事業の一環という。 「お酒は楽しく『ふたり酒』」と命名され、対象のお年寄りは約100人。年に2回程度で、希望者1人につき職員1、2人で応対する。6月ごろから、男性職員は自宅を訪ね、女性職員は役場に招待する。全職員46人に参加を呼びかけ、松島村長も参加する。 人口約2千人の村は高齢化が進み、財政も苦しい。村が職員から募ったゼロ予算事業のアイデアの中に職員が晩酌相手になる案があり、一昨年、女性職員が妻を亡くした高齢者の男性を役場の食堂に招いて喜ばれたこともあって、採用したという。 松島村長は「顔と顔を合わせて会話をすることが、本当の福祉につながる」と意気込んでいる。 泰阜村は、介護保険の利用者負担額の一部を村が利用者に代わって負担するなど「福祉の村」として知られるほか、村が取り組む政策メニューを示し、その政策に共感してくれる人から寄付を募って財源にするというユニークな施策も展開している。】
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やっぱり「孤独」というのは一番辛いものだと言いますから、このアイディアそのものは、けっして悪くないのだと思います。間違いなく、喜んでくれるお年寄りもいるだろうし。でも、その一方で、僕はもし自分が「ひとり暮らしのお年寄り」だったら、このサービスに応募するだろうか?とか、もし自分がこの村の職員だったら、このボランティアに応募するだろうか?とか、つい考えてしまいます。僕は正直、知らない人と一緒に気まずい酒を飲むくらいであれば、「ひとり酒」のほうがマシだろうと思うし、知らないお年寄りとサシで延々と昔話とか聞かされるのは辛いよなあ、とも思うのです。ああ、なんだか「これも仕事のうち…」と一生懸命相槌を打っている自分の姿が目に浮かんで、参加してもいないのに憂鬱な感じです。 たぶん、世の中には「酒さえ飲めれば幸せ」という人がいれば「酒なんて見たくもない」という人もいるのでしょうけど、その一方で、大多数の人は、「気のあった仲間と飲んだり、一人でも楽しく飲むなら楽しいし、逆に、肩の凝る接待の席などは勘弁してもらいたい」という人が多数派なのではないでしょうか。そういう人たちにとって、この「知らない人と一緒に飲む」というのは、そんなに魅力的に感じられるかどうか、ちょっと疑問にも感じます。その一方で、このイベントであまり面識もなくて、年も離れている相手(もっとも、村長さんなども加わるとのことですから、そのへんの世代的な融通は調節できそうではありますけど)と酒を酌み交わして楽しめるほどのコミュニケーション能力がある人というのは、そもそも、こんなイベントに頼らなくても、日頃からそれなりに楽しくやっているんじゃないかなあ、とも思えるのです。もちろん、そういうコミュニケーション能力なんていうのは、生来のものだけではなく、こういう機会を利用して磨くべきものなのかもしれませんけど。もちろんそれは、高齢者側だけでなく、職員側にとっても。
でもね、確かに、「話し相手になってくれたから」なんていう理由で怪しいネズミ講に引っかかってしまうお年寄りが後を立たないように、「孤独」っていうのは、それを心の底から体験したことがない僕が想像するより、はるかに根が深いものであって、それこそ、「どんな相手でもいいから、話がしたい」という人は、けっして少なくないのかな、という気もするのです。 こういうときに「お酒頼り」になってしまうのは、いかにも日本的だなあ、とも思うんですけどね。
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