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2005年03月09日(水)
通天閣のおばあちゃんの決めゼリフ

「日本語トーク術」(古館伊知郎・齋藤孝共著、小学館文庫)より。

(「日本語」に関する、古館さんと齋藤さんの対談の一部です。)

【古館:NHKの『新・クイズ日本人の質問』という番組の司会をやっていたときのことなんですが、あれはクイズの答えに虚説が三つあって、一つだけ本当の答えなんですね。
 今、ふと思い出したんですけど、あのクイズに出た人で、大阪の通天閣の展望台に小さいお店を持ってる80歳のおばあちゃんがいたんです。40年間ぐらい年中無休で、大晦日もお正月も、通天閣の小っちゃいミニチュアや、いろんなお札とか絵馬とかを売っている人で、40年間無休で働いているっていうだけで面白いんだけど、この人には、自然に培った決めぜりふがあるんです。こう言うとお土産が売れるひと言があります。それは意図的に作った言葉ではありません。無休でやっている中で自然に使っている言葉で、なぜかこの言葉をいいタイミングで言うと売れるっている言葉があります。さて何でしょう、って言って、四つの説が出たんです。
 一つめは、「やめますか」って言うと、買おうかどうしようか迷っている客が「やめるのやだから、買おうかな」って反動で買う。二つめは、「お家に持って帰ってください」って言うと、お家に持って帰る情景が浮かんで、家族の幸せを感じて買うとか。でも、8人の回答者が誰も当たらなかったんです。実は一番地味な答えが正解だったんです。「どうしましょう」って言うんですよ。

齋藤:「どうしましょう」って!

古館:これは、突き詰めていくと、さっきの「預ける世界」なんです。
 要するに、客が迷っていて、どうしようって思っているわけです。こんなもの買っていく意味がないって。テレビの15秒スポットを見て悩むみたいなものですよ。左脳と右脳が迷っていて、右脳は買っていきたいっていう衝動にかられてる。でも左脳の理屈脳が「お前、こんな通天閣の置物を買って帰ってテレビの上に置いたってよくないぞ。むだ遣いするなよ、旅行気分にとりつかれちゃいけないよ」って言っている。客はやっぱり、どうしましょうと思っているわけですよ。
 おばあちゃんは、ある程度は黙っているんですって。それで、もう限界かな、客が離れるかなっていう直前に、「どうしましょう」ってちっちゃい声で言う。そうすると、そのささやきは、内なるささやきなんですよ。だから、自分以外の自分が、自分以外の他人が、自分の代弁をしちゃうんです。そうすると、あなたは私ですかっていうことになって、じゃあ、あなたのために買うよという不可思議な状態になる。だから、完全に預けに近いんですよ。「どうしましょう」って。

齋藤:素晴らしいエピソードだな、それは。

古館:ええ。「私はね、いつからそう言うようになったか全然覚えていないし、ねらったこともない」っておばあちゃんは言う。たぶん、ずっと客と向き合っているから、客側に立てる瞬間があったはずなんですよね。これはやっぱり、究極のコミュニケーションだと思うんですね。

齋藤:うーん、究極ですね。身体をそこに重ね合わせるんですね。

古館:そうですね。

齋藤:でも、絶妙なタイミングじゃないとダメなんですよ。

古館:いきなり「どうしましょう」じゃね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このエピソード、まさに長年の経験がなせるワザというか、どんな雄弁なセールストークよりも、ひと言の「どうしましょう」のほうが効果的だというのは、ものすごく興味深い話です。「通天閣のお土産物」なんて、こう言ってはなんですが、「別になくても困らないもの」というか、実際のところは、買って家で包みを開けてみれば「どうして自分はこんなものを買ってしまったんだろう?」と思ってしまうようなものですから、それを40年「その気にさせて」売り続けるのは、並大抵の技術ではないはずです。まあ、逆に、「買ってもそんなに懐が痛むようなもの」ではないのも事実ではあるのでしょうが。
 たぶん、このおばあちゃんも40年の間、「どうしたら売れるんだろう?」といろいろ工夫はされたのだと思うのです。それこそ、煩いくらいにお客さんに話しかけたこともあったでしょうし、逆に、声をかけないようにしたこともあったに違いありません。その結果が、この「どうしましょう」のひと言ですからねえ…多くのお客は、これがおばあちゃんの「決めぜりふ」であることすら知らないまま、「じゃあ買うよ」と言ってきたのでしょう。逆に、あんまりしつこく売りこまれたりするとかえって「買っても大丈夫かな?」なんて思ってしまうかもしれないし。
 そして、この「どうしましょう」のタイミングもまた、ひとつのテクニックで、齋藤さんが仰っているように、「絶妙なタイミングじゃないとダメ」なんですよね、きっと。それこそ、手にとってすぐ「どうしましょう」と言われても「いらんわ」で終わってしまいそうな気がしますから、このおばあちゃんとお客がシンクロする瞬間、まさにその一瞬がチャンスなのでしょう。僕もこういうお客の気持ちというのは、ものすごくわかるし、同じシチュエーションで、おばあちゃんがちょっと困った顔をしながら小声で「どうしましょう」なんて言ってきたら、「(おばあちゃん困ってるみたいだし)買おうかな」と、つい財布の紐も緩んでしまいそうです。その品物が欲しいというよりは、目の前のおばあちゃんと喜ばせたい、というような(いや、そのおばあちゃんは、そもそも商売でやっているのだし、赤の他人のはずなのに!)感情に押し流されてしまうんですよね。
 そういうのって、僕の「甘さ」だと思っていたのだけれど、こうして解説されてみると、それだけじゃないんだな、ということがわかります。そうか、僕はおばあちゃんの立場になっているのか、と。
 僕は服とか買うのも苦手なんですけど、確かに、「断りにくい理由」というのは、そういうところにあるのかもしれない。それで、なんとかうまく断ろうと必要以上に構えて拒否的になったりして、あとから「感じ悪かったかな…」なんて、自己嫌悪に陥ってみたり。

 ところで、これって「告白の間合い」にも使えそうですよね。いざというときには、強引に「つきあってくれ!」とか、弱気に「やめますか?」とか言うより、小声で「どうしましょう」って言ってみたら、意外と相手はこちらに感情移入して「いいですよ」と答えてくれたりするかも…
 まあ、僕らはおばあちゃんのような百戦錬磨のツワモノではないし、通天閣のペナントほど、うまく売れるとも思えませんけどねえ。