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2005年02月23日(水) ■ |
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列車に「飛び乗った男」と「飛び乗らなかった男」 |
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「我が名は青春のエッセイドラゴン!」(大槻ケンヂ著・角川文庫)より。
(「バクチも酒もやらない「石橋を叩いても渡らぬ男」だった、大槻さんのお父さんに、大学中退とバンドのプロデビューを報告したときの、お父さんのリアクションを思い出しながら)
【父は悪代官に冬越えの米までもってかれた長老のごとき渋面を浮かべていた。だがしばらくあと、ニタリと笑い、「そうか、わかった」と言った。
(中略・ここで、大槻さんの伯父さん(お父さんにとってはお兄さん)が、大学在学中に「映画の道に進む」といって、大槻家が大騒動になったことが書かれていて、大槻さんのお父さんは、そのとき「世の中には何を言ってもきかない人種がいる」ということを悟ってしまったのではないか、ということが語られます)
「しかし……俺の息子も……とはねぇ」 石橋を叩き壊す人生を選んだ僕に、父は渋面の口の端でフッと笑ったということなのか。 理由はもう1つあったと思う。 僕が少年の頃、父はテレビで雪国を走る列車の風景が映るたびに、 「俺も若ければなあ、こういうところにフラリと行ってみたかったなあ」 とつぶやいた。反抗期バリバリの高校時代、いつもの父の言葉に対し、雪よりも冷たく 「だったら今すぐ行ったらいーじゃねーかよ」と、言い放ったことがある。 父はそのとき、おし黙ってしまった。 人間には、いくつもの分岐路がある。人はある程度、行くべき道を自分で選択できる。一般社会のワクにかっちり収まる線路を選んだ父にとって、雪山の中をひた走る列車は、父の選ばなかったもう1つの人生の象徴として見えていたのかもしれない。 僕も22歳で分岐路に差しかかり、そして雪国を走る列車に飛び乗る方を決めた。父が反対しなかったのは、自分の選ばなかった道を走る息子の行く果てが、親として以上に「それに乗らなかった男」として、興味深かったからなのではないか? 伯父が乗り父の乗らなかった列車に乗って、今、僕は僕の線路をひた走っている。】
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子どもというのは、正直で、ある意味残酷だよなあ、と僕はこれを読んでいて思いました。僕も確かに、そういう「自分はわかっている」というつもりで、「わからないふりをするほうが、良い場合もある」なんて考えもしない、「世の中のことがわかった(つもりの)子ども」でしたから…… 大槻ケンヂさんのお父さんのこの話を読んで、僕は自分の父親のことを思い出しました。まあ、こんなに「堅い人」ではなかったのですが、それでも、「もうちょっと若かったら」とか「あのときああしておけばなあ…」なんて言葉を耳にすることはありましたし、僕はそういう弱音を聞かされるのが、子どもとしてなんとなく許せないようにも感じていたのです。 「親には親らしくしてもらいたい」なんて、自分が子どもの親になってもおかしくない年になってみると、そう簡単に30や40で人間悟れるものでもない、ということが実感できるんですけど。 世の中には、たぶん、「雪国を走る列車に飛び乗る人」もいれば「飛び乗らない人」というのもいます。それはどちらが正しいとかではなくて、その人の性格やタイミング、環境というものもあるのでしょう。昔の話で言えば、「母親だけしかいなくて、小さい兄弟を抱えている」というような状況であれば、いくら絵描きになりたくても、その道を選択するというのは現実的には難しい、なんてことはあったはずですし、医者の世界でいえば、実家が病院で、跡継ぎになるというレールが敷かれている、なんていうのは、傍からみればうらやましかったり、自分の道が決められていてつまらないだろうな、なんて思ったりするのですが、それに対する本人の感じ方というのも、けっこう人それぞれだったり、年齢によって変わってきたりもしますしね。 まあ、世間で大きく取り上げられるのは「列車に飛び乗って成功した人」の話ばかりですから、「列車に乗ることを選ばなかった、あるいは選べなかった」人たちにとっては、「あのとき、ああしていれば…」と思うことがあるのも、当たり前のような気もするのです。 でも、結局、僕なども「飛び乗れなかった人間」なんだよなあ、と最近つくづく思います。そういうのは「性分」みたいなものだし、今の人生に切実に後悔しているわけでもないんですが、もしあのときに戻れたら、違う選択をしてみたい、なんていうのは、誰にでもあるのではないでしょうか? 「レールの上に乗っている堅実な人生」と他人からは見えても、実際は必死にその列車にしがみつきながら、思い悩んでいることだってあるのだろうし。実際にやってみると、「堅実な人生」っていうやつも、そんなにラクではないのです。
親の心、子知らず。そんなことを嘆く親に、押し付けがましいなあ、と呆れていた子どもだった僕。 僕もいつか、自分の子供に「だったら今すぐ行ったらいーじゃねーかよ」とか言われる日が来るのかもしれません。かつて、僕がそんなふうに父親に言ったように。 それもまた、因果応報というものなのか……
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