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2005年02月21日(月) ■ |
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『ドラえもん』と「シャッフルモード」の時代 |
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「ドラえもん・巻頭まんが作品集(上)」(藤子・F・不二雄著、小学館)のまえがき(小学館・ドラえもんルームによる)の一部です。
【『てんとう虫コミックス ドラえもん』全四十五巻には、雑誌に掲載されたすべての作品・約千三百作から、藤子・F・不二雄先生自ら選択された八百二十六作を収録しています。そして、巻ごとの構成(作品の収録順など)にも、先生ご自身が携れています。 巻を重ねるたびに、その巻のトップバッターを藤子・F・不二雄先生は、どのようにして決められていたのでしょう? 新刊を待ちわびる全国のファンに向けて、おそらく、次のようなメッセージが込められているのではないでしょうか。 「今度は、こんな『ドラえもん』を考えてみました。この巻で、いちばん始めにあなたに読んでいただきたい作品です。ぜひ、お楽しみください。」 この本では、『てんとう虫コミックス ドラえもん』全四十五巻、各巻の先頭に収録された作品を一同に集めてみました。まとめて読むことで、藤子・F・不二雄先生が込められたメッセージを、より明確に感じ取ることができるかもしれません。】
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まだレコード全盛だった時代、アーティストたちは、「曲順」にものすごく神経をつかって、あれこれと頭を悩ませていたそうです。今のCD、あるいはデジタルオーディオプレイヤーとは違って、当時のレコードは、一度針を下ろせば、そう簡単に聴きたい曲に移動することなんてできませんでしたから、「名盤」と言われるアルバムは、その「流れ」が重視されたものでした。最初から最後まで通して聴けるかどうか、というのが、大きな評価の要素だったんですよね。 現在では、「シャッフルモード」なんて、「次に何が出てくるかわからない楽しみ」が重視されるようになってきているのですけど。
この「まえがき」を読みながら僕が考えていたのは、子どものころ一生懸命読んでいた「ドラえもん」のコミックスの陰には、藤子先生のこんな苦労があったのだなあ、ということでした。物語の流れの順番に収録していけばいい「ストーリーマンガ」に比べて、「ドラえもん」のような、原則的に1話完結のものは、「どういうふうに並べてもいい」はずですし、僕が子どもの頃に、その「並び」に意味を見出したのは、6巻の最後の「さようなら、ドラえもん」と7巻の最初の「帰ってきたドラえもん」くらいだと思います。今思い出してみると、全体的に、巻の最後には「感動的な話」が配されていたような気もしますし、こういうのは「最後はバラードで」というのと同じような発想なのかもしれません。 そして、1300作のうち、収録されたものが826作ということですから、実に3分の1以上は「コミックス未収録」になっているのです。当時のドラえもんは、さまざまな雑誌に書かれていて、たぶん、作者としては納得できない出来のものも多かったのでしょうが、それでも、出せば売れるはずの「ドル箱作品」をこれだけ自分でボツにされているのは、傍からみれば、ちょっともったいないなあ、と考えてしまうのです。でも、そうやってクオリティを保っていったからこそ、これだけ長い間愛され続けているのでしょうね。
確かに、マンガを「シャッフルモード」で読む人はいませんから、こういう「作品の順番」というのは、ものすごく大事であり、藤子先生も、かなり苦心されたに違いありません。この巻頭作品集には「アンキパン」とか「もしもボックス」なんて、印象的なひみつ道具の初登場も多いみたいだし。 こんなシャッフルモード全盛の世の中ではありますが、やっぱり、「話の順番」というのはけっこう大事なのです。誰かに何かを伝えたいときには、なおさらのこと。 だからこそ逆に、この作品集には、「ベストアルバムのような居心地の悪さ」が同居している、というのも事実ではあるのですけど。
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