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2005年02月15日(火)
何のための「実名報道」なのですか?

毎日新聞の記事より。

【大阪府寝屋川市の小学校で教師が卒業生の少年に刺殺された事件で、フジテレビが15日朝の番組で、逮捕された少年(17)を実名で画面に映した。同社によると、実名が流れたのは情報番組「とくダネ!」。小学校時代の卒業文集を画面に映した際、少年の実名を十分に隠さず、実名が分かる画面が数秒間、放映されたという。】

参考リンク:「実名報道と少年法」を考える(Web現代)

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 僕はその画面を観たわけではないのですが、少なくとも、生放送中に過って「映ってしまった」という状況ではなさそうです。だいたい、そういう「少年の過去の映像」というのは、編集されてVTRで流されているものですから。
 そして、今朝の放送であれば、「急いで編集して、確認する時間もなく、それを放送した」というほど切羽詰った内容でもないでしょうし。
 何事にもケアレスミスというのはありますから、「わざとに決まっている」と断言するのは危険ではありますが、少なくとも担当者は「絶対に実名を出してはならない」という意識を持っていなかったということはわかります。
 正直、僕も「どうして人を殺す能力があり、実際にそれをやった人間が『17歳だから』という理由だけで匿名になれるのか?と疑問には思うのです。もっとも、実名を知ったところで実家に嫌がらせの電話をしたりとかの直接行動に出ることはないでしょうし、「実名報道」というのが、どれだけ犯罪抑止や被害者救済に役立つのか、というのは、正直見当もつかないのですけど。
 あるいは、単純に「そんなヤツは、晒し者にしてやれ!」という発想や興味本位だけで、僕も「実名報道」を望んでいるのかもしれないし。
 でも、「年が若いというだけで、こんなに罪が甘くなるのなら、せめてそういう『社会的制裁』くらいは加えてやりたい」という気がするのも事実です。

 この少年法と「実名報道」については、常に問題になっており、以前にも突出したメディアが実名報道に踏み切ったこともありました。
 参考リンクには、こんな事例が書かれています。

【'98年1月8日に大阪府堺市の路上で、通学途中の女子高生、幼稚園児とその母親の3人が、シンナーを吸っていた19歳の少年に、刃物で次々に刺され、幼稚園児が死亡し、他の二人も重傷を負ったという事件がありました。殺人罪などに問われた少年は、大阪地方裁判所堺支部で今年の2月24日、懲役18年の判決を受けています。この少年が、月刊誌「新潮45」に顔写真や実名を出され人権を侵害されたとして、発行元の新潮社側に2200万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。1審判決は新潮社側に250万円の損害賠償を払うように命じました。しかし、先月29日に大阪高等裁判所民事部は、控訴審判決で1審の判決を完全にくつがえし被告側の請求を棄却しました。
「2審判決は少年法61条の効力がないも同然。なにが凶悪重大な事件なのか基準があいまいなまま実名報道を認めている。今後、暴走するメディアが出てくることを恐れている」(実名報道された弁護団の一人、金井塚康弘氏)。】

 犯人は、【弁護士に「新潮社の行為は法律に違反している。見せしめのように実名や家族のことまで書かれ憤っている」と話した】とのことなのですが、僕の感覚からすれば、「なにが凶悪事件なのか基準があいまい」って、これが凶悪事件でなかったら、「凶悪事件」なんて稀有な存在になってしまうのではないか、と思いますし、お前にそんな「法律に違反している」なんて言う資格はないだろ、厚かましい!」とも感じます。
 まあ、その一方で、自分が凶悪犯罪をやらなくても、遠い親戚とかのせいで世間の非難を浴びたら、やりきれないだろうな、とも感じるのですが。「自分の身内は、そんなことしない」と思いたいけれど、それはみんなそう思っていたのだろうし……

 あまりにも甘すぎる(ように感じられる)「少年法」の改正論が高まっている一方で、「厳罰主義は、犯罪率の低下にはつながらない」とも言われています。ただ、「どうせ犯罪率の低下につながらないなら、罪を甘くしてもいい」というのもなんだかおかしな話です。

 テレビでの「実名報道」がこうして社会問題として報道される一方で、ネット上では、さまざまな個人情報が飛び交っているのです。そして、それ以前に、地元の「人の噂」というネットワークでは、「○○君が犯人」という情報は、ネットが普及するよりはるか昔から地域の人々では情報公開されていたことなのです。そういう意味では、実名報道とか、某巨大匿名掲示板なんていうのは、「本来は名前なんて知らなくてもどうでもいい人たち」にまで、その個人情報を広めてしまう、という効果はありそうです。

 実際のところ、僕も日航機の事故のときの「K機長」や幼女誘拐事件の「M」のことは記憶に残っているし、顔もおぼろげながら記憶にあるような気もするのですが、では、彼らが電車で自分の隣に座っていたらわかるのか?と考えると、たぶん「どこかで見たことがある顔だな…」というレベルなのだと思います。
 「名前も顔も知らないと、自分に何かあったときに怖い」と言いながら、実際にその顔を一生懸命記憶しようとしているわけでもないですから。
 そういう意味では、「実名報道」や「顔写真」よりも、「人の噂」のほうが、はるかに根強いメディアなのかもしれません。

 それにしても、「犯人側」のことばかりがこれだけクローズアップされているのですが、僕はいつも、「被害者の側のプライバシーが、『報道』の名の下に無秩序に暴露されていること」のほうが問題なのではないかと感じているのです。被害者の日頃の生活ぶりを「こんなことをしているから、被害に遭うんだ」というニュアンスで言っているようなときもあるし、遺族にマイクを向けて「今のお気持ちを」なんてやる必要性なんて、どこにもないはずなのに。

 僕が「実名報道」に対しては賛成なのに、「実名報道をするマスコミ」というのがあまり好きになれないのは、「結局、その『実名報道』っていうのは、話題づくりのためにやっているんじゃないの?」と言いたくなるからなのです。

 そもそも、何のための「実名報道」なのですか?