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2005年01月14日(金) ■ |
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個人サイトに「とんでもないこと」を書いてしまう人々 |
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「共同通信」の記事より。
【水戸市の水戸協同病院(津久井一院長)の耳鼻咽喉科の女性医師(28)が、自分のホームページ(HP)に患者とのやりとりや手術の様子を書き込んで「頭悪い」などと、患者を中傷していたことが14日、分かった。医師は指摘を受けてHPを閉鎖。病院は処分を検討している。 病院によると、医師はHPの日記のコーナーに治療内容などを公開。匿名ではあるが、文句を言う患者に「今すぐ帰れ。二度と来るな」と書いたり、忘年会中に呼び出された緊急手術について「この緊張感がたまらない」と記したりしていた。 情報提供があった昨年12月下旬、病院が医師に確認すると「日記がわりに書き込んでいた。申し訳ないことをした」と述べたという。】
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いろんなところに出ていますから、僕もこの女性医師の「日記」というのを読みました。そして、「頭の中で何を考えても自由だけど、さすがにこれをWEB上で誰でも見られるような形で公開しておくのは『非常識』だろうな」と思いました。いや、いろんな不満というのはあって当然なのだろうけど、ここまで露悪的に書いてしまうと、弁護のしようもないよなあ、と。たぶん「ウケを狙おう」として書けば書くほど、「他人からみれば笑えない内容」になってしまったのでしょうね。こういう心境は、サイトをやっている人間にとっては、わからなくもないですし。こうなってみてはじめて、自分の「暴走」に気がつくわけで。
それにしても、なぜ人はサイトを作り、世界中に向けて公開するのでしょうか?もちろん、現実には「世界の人に見られているサイト」なんて、ごく一握りで(そもそも、英語のコンテンツを持っている日本のサイトは少数派ですから)、実際は「自分と知り合いしか来ないよう個人サイト」が大多数を占めているんですけどね。 例えば、有料サイトだったり、何かを売ろうとしていたり、宣伝しようとしていたり、個人サイトでも、広告でお金を稼ごうとしているようなところは、その「理由」というのがハッキリしています。 お金が目的ではなくても、自分の個人情報を公開して運営しているサイトというのは、「共通の趣味の人と知り合いたい」であるとか、「自分が書いたものや造ったものを知ってもらいたい」という目的があれば、その「理由」はわかるのです。そのためには、WEBというのは本当に優れた世界ですから。 一方で、「個人情報」を公開すると、嫌がらせや誹謗中傷を受けるリスクが高いのも事実なんですけどね。
それでは、匿名でWEBサイトをやっており、そんなに積極的に「自分の交友関係を広げるためにネットを活用」していない僕のような人間にとって、サイトを運営する意味というのは、いったいどこにあるのでしょうか? もちろん、「書いたものを褒めてもらいたい」というのもありますが、「不満の捌け口」という一面があるのも否定できないような気がします。 「そういうのは、広告の裏に書け!」と言われるのかもしれませんが、WEB日記というのは、「お互いに匿名で、自分以外の知らない人に読んでもらえる」というのがメリットだったのです。実際に日記をつけてみた経験がある人ならわかっていただけると思うのですが、どんな「ひみつの日記」でも、「自分以外の誰も読まない文章」を一生懸命書くというのは、けっこうめんどうで不毛な作業です。少なくとも後世に残っている「日記」の中には、「他人に読まれることを全く意識していない日記」なんてありませんし。 「知り合いに読まれたら困るけど、誰も読んでくれなければ書いてもしょうがない」という感じなんですよね、実際のところ。 この女性医師の場合をはじめとして、実のところ多くの人にとって「日記を公開する」ということは、デメリットに比べてメリットは極小です。 そもそも「金正日のアホ!」とか書けるのは、たぶん相手が自分のサイトの存在を知らない、あるいは万が一知っていたとしても、いちいちこの小さなサイトの書き手をつきとめて復讐しにきたりはしないだろう、という「希望的観測」を持っているからで、実際に内容証明を送りつけられて、「謝罪しなければ訴える」と言われても「自分の言葉に責任を持つ」人というのは、ほとんどいないと思うのです。もちろん僕も即時謝ります。 まあ、今のところは訴える側も手間ばかりかかって得るものはないので、「泣き寝入り」のような状況ですが、それがこの先もずっと続いていくかどうかなんて、わかりませんし。
ほんと「匿名でサイトを運営することの楽しみ」なんて、たまにメールとかで褒められたり、アクセス解析をみて、訪問者数が増えているのを確認してニヤニヤしたりする以外に、何もないんじゃないかという気もするんですよね。ネット友達ができる、というのはメリットのひとつなのですが、その一方で、ひとつのすばらしい出会いのためには、その10倍くらいの失望が必要なのではないか、とも感じています。
それでも、これだけたくさんの人が個人サイトを運営しているというのには、やっぱり理由もあるのでしょうし、こういうのは中毒の一種なのではないかなあ、とも思うんですけどね。
現実的には「万が一知り合いに読まれても困らない」くらいのサイトであればいいはずです。今後の時代の趨勢というのも、おそらくその方向に向かっていくでしょう。
でもね、その一方で、僕のような自意識過剰な人間は、知り合いが読んでいると思うだけで、他の人が「そんなの知り合いに読まれても気にすることないじゃん」というような内容だって書けなくなるだろうし、だからといって、嘘ばかりを書いたサイトに人がたくさん来てくれたり褒められたりしても、全然嬉しくないのです。 自分を知ってもらいたいけど、詮索されたくない、というのは、あまりにムシがいいスタンスなのかもしれませんが、だからこそ書けるという僕のような人間は、けっして、ひとりだけではないと思います。そして、そういう人間にとって、急速に現実とリンクしつつあるWEBの世界は、どんどん住みにくくなっているのです。
本当のところ、「どうしてこんなに自分に役に立たないことを延々と一生懸命やっているのだろう?」と自分でも不思議です。 ただ、僕は子どものころ、母に仕事の愚痴をこばしてばかりの父親がすごく嫌で仕方なかったのですが、今はその気持ち、悔しいけど理解できます。
みんな、「誰にもわかってもらえない自分」のことを知ってもらいたいんだよね、きっと…
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