|
|
2005年01月05日(水) ■ |
|
なぜコンビニは、こんなに多くの商品を捨てるのか? |
|
毎日新聞の記事「挑む’05・若手経営者のメッセージ」より。
(新浪剛史・ローソン社長(45歳)へのインタビュー記事の一部です。聞き手は小林理さん。)
【聞き手:コンビニのあり方を根本から見直すということですか。
新浪社長:そうだ。欧州では、日本のように24時間営業の店はほとんどない。でも生活は豊かだ。ひと昔前の日本は、夜に物が足りなくなったら、お隣さんに借りに行っていた。そんな地域のつながりが消えつつある。
聞き手:24時間営業が問題なのですか?
新浪社長:一律に24時間営業をやめろ、ということではない。地方など、状況に応じて24時間営業をしなくてもいい店があるのでは、との問題提起だ。コンビニ店主の高齢化も進み、深夜から未明の営業は大変だ。疲れた声で「おはようございます」とあいさつするようでは無理がある。数年かけて、深夜から未明の営業を中止する店を徐々に増やしていきたい。
聞き手:「コンビニ」のイメージが変わります。
新浪社長:もっと言うなら、なぜコンビニはこんなに多くの商品を捨てるのか。食品は賞味期限が切れればすべて捨てる。その額は当社では経常利益を上回るほどだ。こんなビジネスモデルが今後30年、60年続くとは到底思えない。注文を受けてから、2分30秒で出来立てのお弁当を出す仕組み作りに挑戦しないといけない。】
〜〜〜〜〜〜〜
こちら(livedoorファイナンス)によると、ローソンの2004年2月期の経常利益は、約376億円です。新浪社長のインタビューによると、これ以上の額の商品(主にお弁当などの食品だと思われます)が、「賞味期限切れ」で捨てられているわけですね。確かに「こんなビジネスモデルが、ずっと続くとは思えない」という言葉にも頷けるというものです。単価を考えたら、膨大な量の食品が捨てられているわけですから。 「いつでも待たずに買える」のが売りであるコンビニというのは、逆に、これだけ商品のロスも大きくなる、ということなんですね。ほんと、「世界には食べ物に困っている人もたくさんいるのに…」というのは、あまりに手垢がつきまくった表現ではあるのですが、ちょっと勿体ない気はしますよね。 でも、だからといって、「商品が揃っていない」コンビニにはお客さんの足は向いてくれませんし、賞味期限切れのものを売ってしまえば信用問題です。これだけたくさんのコンビニチェーンが競合している状況では、「勿体ない」と言ってもいられない、というのも現実なのでしょう。コンビニの営業時間だって、もともとは「セブンイレブン」の名前に象徴されるように「朝早くから夜遅くまで営業している」だけで、24時間営業が当たり前になったのは、20年前(僕が住んでいる田舎では、15年前)くらいからのはずです。確かに、田舎では深夜にコンビニに行っても、自分と本を立ち読みしている店員さんだけ、なんてこともけっこうありますし、その時間帯だけみれば、けっして黒字ではないでしょう。困った人たちの溜まり場になって、近所から苦情が絶えない、なんてことも多いみたいだし。 それでも、買う側からすれば「24時間営業のほうが安心」のような気がするんですよね。深夜や早朝に利用することなんて、ほとんどないのに。 都会ならともかく、学生が少ない田舎では深夜アルバイトを確保するのも大変で、結局経営者の家族がずっと店番、という現実もあるそうです。
ただ、この新浪社長のインタビューを読んで僕が思ったのは、社長が言われることは正しいけれど、それに対しての消費者の反応は、なかなか期待通りにはならないだろうな、ということでした。 【欧州では、日本のように24時間営業の店はほとんどない。でも生活は豊かだ。ひと昔前の日本は、夜に物が足りなくなったら、お隣さんに借りに行っていた。そんな地域のつながりが消えつつある。】というけれど、正直現代の日本人としては、「でも、夜中に醤油がないからってお隣に借りにいく気まずさや近所づきあいの煩わしさを考えたら、多少遠くてもコンビニに買いに行ったほうがいい」人だって、多いのではないでしょうか?「お隣に借りに行けないような時代」だから、こんなにコンビニ全盛になったのか、コンビニができたから「お隣に借りに行けないような時代」になったのか、それははっきりとはわかりませんが、もし「お隣に借りに行くほうが手軽」な時代であれば、いくらコンビニがあったって、実際に利用する人は少なかったはずです。 人間というのは、一般的に便利なほう、ラクなほうに流れていく習性があって、たぶん、ものの貸し借りをする人付き合いよりも、コンビニで買ってきたほうが、僕を含む多くの人にとってはラクなのだと思います。「地域のつながり」というのは、理想像としては美しいけれど、その現実は、あまりにも煩わしいことばかりで。 理想はさておき、いろいろなものの歴史を考えていくと、時代につれて「不便なほう」に発展しているものって、本当に少ない、というか、ほとんど思いつかないのです。。 それとも、そろそろ「不便さを見直す時代」がやってくるのだろうか…
|
|