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2004年12月18日(土) ■ |
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「法を遵守している」って、そんなに偉いことなの? |
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「道草食う気」(原田宗典著・角川文庫)より。
(1994年11月16日の日記より)
【山篭りをしているといつもそうなのだが、長いこと人に会わないために、ふと気づくとテレビを相手に文句を言ったりしている。最近得意の台詞は「お前間違ってるぞ」。テレビに登場するほとんど全ての人物に対して、この台詞はぴったりくるものらしい。例えば政治家。この人たちは何かというとすぐに政治資金規正法には触れてないとか言って、法律や規制やルールを守っていることを盾にするけど、馬鹿じゃないのかと思う。まあ政治家に限らずほとんどすべての人が、法律は正しくて善だと思い込んでいるみたいだけど、そこが間違いの元。極端な話、法律というのは必要悪だと僕は思う。人間が持つ悪しき部分を抑え込むために定められているのが法律なんだから、それを遵守したからといって偉そうにするなんて、馬鹿丸出しである。政治家がこの調子だから、デートクラブに出入りする女子高生も「体は売ってない」と胸を張るし、テレビ局の連中も「差別語はピーという音で消した」と解決したかのような顔をするし、学生たちも「電車の中でディープキスして何が悪い」と開き直るのだ。人間にとって、ルールでは決められないことのほうが大事なのだと、どうして分からないのだあッ。と、連日テレビに向かって怒っている自分にふと気づき、今日は早めに寝ることにする。】
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今から10年前に書かれたものですから、たぶん、今の原田さんの「間違っているぞ」の回数は、さらに増えているのではないでしょうか?「デートクラブ」どころじゃないものね… この文章を読んで、僕も常々感じていた「だって、法律違反じゃないだろ!」という言葉への違和感の正体が、少しわかったような気がしました。 「法律」というのを盾にする人は多いのだけれど、実際のところ、「法律」って、「人間として最低限守らなければならないこと」であって、守ったからといって、本来は大声でそれを自慢するべきことではないんですよね。むしろ、「法律に触れているかどうかを問われる状態に置かれていること」そのものが、恥ずべきことのような気がします。それなのに「法には触れてない!」なんて開き直る人が、なんて多いのだろう。 そして、そういう「法律の網目」みたいなのを利用している人というのも、今の世の中では、けっして少なくないのです。本来は「弱者の権利を守る」ための法律が、強者の盾になってしまっているケースが目につきます。
本来、「法律を守る」なんていうのは、ごくごく当たり前のことで、普通の人が普通に生きていれば、法の存在を意識する必要はないはずです。でも、こんなにみんなが「法律・法律」なんて言わなければならない時代というのは、なんだかとても不自然な気がしてなりません。法律がない時代は不幸だとは思うけど、法律の境界線ばかりが語られる世の中も、やっぱり不幸なのではないでしょうか?
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