初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2004年12月01日(水)
芸術的観点からみた、『エイリアン』のキャスティング

「シティ情報ふくおか・No.632」の記事、『エイリアンvsプレデター』のポール・W・S・アンダーソン監督へのインタビューより。

【インタビュアー:『エイリアン』を初めて世に送り出したのは巨匠リドリー・スコット。当時無名に近かった彼は、スターを起用しないことで誰が死ぬか判らないというトリックを使用し、スリリングな緊張感を生み出すことに成功した。

アンダーソン監督:今回『エイリアンvsプレデター』のキャスティングをフォックスと打ち合わせた時、まさにリドリーのポリシーに乗っ取った方法を取ることに決めたんだ。たとえばブルース・ウィリスが出てくるだけで観客たちは安心して観てしまうだろう。まさか彼がまっさきに死ぬなんて思わないからね。だからリドリーの取った賢い方法を押し通すことをフォックスを約束したんだ。

インタビュアー:それは建前で、もしかするとエイリアンとプレデターを製作するのにお金がかかりすぎたっていうことはないの?

アンダーソン監督:(笑)。もちろんエイリアンとプレデターを作るのにたくさんのお金がかかったよ。クイーンエイリアンは17フィートのアニマトロニクスなんだけどあれだけで2億円くらいかかったし、エイリアンの上半身のアニマトロニクスにも1億円くらいは使っているんだ。中に入っている人はとっても安いんだけどね(笑)。まあそれはおいておいて、とにかく有名人を使用しなかったのは金銭的な問題ではなく、あくまで芸術的観点からなんだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このインタビュアーもちょっと失礼な人ではありますが、なかなか興味深い話です。たぶん、「エイリアンの中の人」は、「もうちょっと自分にも出番をギャラを!」と思ったかもしれませんが。
 アンダーソン監督が言われているように、日頃映画やテレビドラマを観たり、本を読んだりするときって、けっこう「作品の内容以外の情報」で、判断できてしまうことって多いですよね。
 「この映画、まだ1時間しか経ってないから、まだ主人公は大丈夫だな」とか、「この主人公カップル、まだ7回目だから、もう一波乱あるだろうな」とか、ここに書かれているように「この役者が演じているキャラクターだから、最後まで生き残るんだろうな」とか。本にしても、「まだこれだけの厚さの分が残っているから、これで終わりじゃないはず」とか。
 そう考えると、「エイリアン」でリドリー・スコット監督が使った手法というのは、そういう「観客の先入観」と逆手にとった、革命的なやりかただと言えるのだと思います。
 ただし、これはまだ無名時代で、「エイリアン」という一種の「架空のキャラクターもの」だったから許された冒険で、多額の資金が投下された「大作」では、有名スターの集客力を利用しないわけにはいかないのでしょうけど。
 それにしても、これを読んでいて思うのは、「インターネット小説」とか、「ネット配信のドラマ」には、こういう「観客の先入観」を利用できる可能性があるのではないか、ということです。
 書籍の形だと、「あとこれだけしかページが残っていないから、終わりそうもないけど、そろそろ終わるんだろうな…」というような心の準備をされてしまうような場合でも、ネット上の文章であれば、「あと何ページ」なんていう情報はわかりませんから、読者の予想を裏切るような「唐突な幕切れ」も可能なはず。映画でもドラマでも、「お約束の時間制限」が無くなるだけでも、だいぶ表現の幅というのは広がるのではないでしょうか。

 とはいえ、そういうふうに「お約束」が無くなれば面白いかと言われれば、それはまた別問題だったりもするんですけどね。
 「お約束」って、最大公約数にウケるからそうなったのだし、なんのかんの言っても「みんなお約束大好き」という面もあるわけで。
 デュカプリオが5分で即死する「タイタニック」とか、千尋が10時間くらい延々と油屋で働き続けるだけの「千と千尋の神隠し」なんて、やっぱりちょっと辛いよなあ。