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2004年11月12日(金) ■ |
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「ミスコン」をめぐる、京大の物騒な前夜祭 |
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京都新聞の記事より。
【京都大の学園祭で21日に開催が計画されている「ミス&ミスター京大コンテスト」をめぐり、学内で混乱が起きている。主催の学生グループに対し、反対する学生団体がジェンダー(社会的性差)やスポンサーの問題などを指摘し中止を要求。公開で話し合ったが物別れに終わった。京大は伝統的にミスコン批判が強いだけに、「京大初」という企画の行方に注目が集まっている。 コンテストは「第46回11月祭」の企画の一つ。1、2年生有志による実行委が、学園祭を盛り上げ「京大のイメージを良い方向に押し上げたい」と企画した。10月から募集を始め、男女5人ずつの候補者が決まった。当日は男女ペアのゲームやウエディングドレス姿で審査し、投票で初代のミスター京大、ミス京大各1人を決める。 これに対し、文学部や農学部の自治会を中心とする学生たちが反発し、メールなどで反対意見を出した。10日夜には公開の協議が開かれ、学生約50人が参加、双方の代表が約5時間にわたって議論したが平行線だった。 反対する学生は、性の商品化、スポンサー介入による商業主義などを問題視。女性候補者だけがある男性誌に掲載されたことを追及した。一方、主催側は、「容姿だけで選ぶのではない、企画規模からスポンサーは必要」といい、雑誌掲載については「企画の認知度を上げるため」とする。 近年では2002年に神戸大・六甲祭のミスコンが、反対で中止になった。「反対意見には分かる部分もあり、何とか妥協点を見いだして開催したい」と主催側。11月祭事務局は「板挟みで困っているが、民主的な解決を探りたい」という。 評論家・森毅さん(京大名誉教授)の話 早くも前夜祭が始まった感じやね。どっちにしても盛り上がってええんやないの。祭りの原則は盛り上げることと、今まで考えなかったことをやること。賛成派も反対派も既成概念を打ち破って新しいものを生むきっかけにしてほしいね。】
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この記事の一番の読みどころは、最後の京大名誉教授・森先生のコメントかもしれません。「火事と喧嘩は江戸の華」的な開き直った解釈というか、「お祭りなんだから、話題になったり、学内騒然となるのも悪いことじゃないさ」という一種の悟りの境地すら感じさせられます。「血の気の多い若い衆が集まってるんだから、しょがないや」という余裕。もちろん、当事者はそんなに悠長に構えてもいられないでしょうけど。
一時期は「女性蔑視の象徴」として槍玉に挙げられ、学園祭や公共のイベントでは忌避されてきた「ミスコン」ですが、最近の一般的な状況というのは、どうなのでしょうか? もちろん、地方自治体などが主催することはほとんどないのだとは思いますが(その代わり、「○○娘」なんていうのは、けっこうあるみたい)、あの「モーニング娘。」の大オーディションの影響からか、「男に品定めされる場としてのミスコン」というよりは、「女にとっての自己アピールの場としてのミスコン」というふうに捕らえている女性が増えてきて、一時期のような「ミスコンは女の敵!」という田嶋先生のような人は、そんなに目立たなくなってきたのかもしれません。 実は、僕がこれを読んで感心したのは、「京大って、今でもアツイんだなあ」ということでした。僕が通っていた田舎の少人数大学では、こういうイベントに対して「実行委員の人、がんばってね」という感じで、僕を含めたモラトリアム派の学生は、「学園祭なんて、かったるいなあ」というムードが漂っていたものです。それでも、始まってしまって少しお酒でも入れば、それなりに楽しんでもいたんですが。 たぶん、僕の大学でこういう反対意見とかが出ても、5時間も真面目に「議論」されるなんてことは、まずありえなかったでしょう。トラブルが起こりそうになったところで、実行委員が逃げ腰になるか、抗議する側が「相手にも友達がいるから」というような感じで手加減するかで、「落としどころ」が探られることになったはず。
僕は見目麗しくない人間なので、「ミスコン」というイベントそのものには、コンプレックスを刺激されるためなのかあまり興味も湧かないし、「ミスコンに出るような女性は、それだけでちょっとなあ…」とかうそぶいてみるような学生時代を送っていました。現実としては、僕が「ちょっとなあ」なんて言う以前に、相手から構ってもらえるわけもなかったのだけど。 それでも、「見た目の美しさ」というのは、才能というか、生まれつきのものだけではなく、「美しく見せるための努力」というのが不可欠であるということを考えれば、必死で勉強して「頭のよさ」「偏差値の高さ」を人生の武器にしようとする人がいるならば、自分の容姿を懸命に磨いて「見た目の美しさ」を武器にしようとする人がいるのも、また仕方がないことではないかな、という気もします。「容姿は努力したってどうしようもない!」って言うけれど、「努力したらできる」はずの勉強だって、結果的には努力をしない人のほうがはるかに多いわけだし。 それを「学園祭」というイベントの中の「コンテスト」で、顕在化するのが妥当かといわれれば、「京大に入ったくらい頭がいいはずの連中が考え抜いたアイディアというのが、単なる『ミスコン』っていうのは、ちょっとレベルが低くないかい?」というのが率直な印象なのです。 「真面目で頭がカタイ京大生」という世間のイメージを嫌ったのだろうか。
実は、「反対派」も話題作りのために実行委員たちが仕込んでいたりして。それなら、「さすが京大!」って感じもしますけど。
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